7.停滞期(1) 停滞期にも詰棋書
このあと、寛政11 年(1799)に九世名人に就位した大橋別家の六代宗英は棋力は抜群であったが、何故か図式を献上しなかった。
それ以来、家元の図式献上のしきたりが途絶え、詰将棋の創作は衰退してゆく。
しかし、文化・文政の時代には、ここに掲げた詰将棋の他にも、昔の図式の再刊本などの出版は盛んにおこなわれている。
とくに袖珍本と言われる、現在の文庫本のような軽便な作品集も多く出ており、広く庶民へ浸透していった時代ということができよう。
また、三国城作や渡瀬荘次郎のような民間の将棋指しが、初心者むきに駒数の少ない軽快作を集めたり、ときには古作の改良などもして、普及に役だっている。
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