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八段 八代大橋宗桂 (1715〜1774) |
6.最盛期(エピローグ) (1) 大綱7番 二代伊藤宗印の三男宗寿は、11歳のときに大橋本家の養子となり、八代宗桂を名乗った。 実の弟看寿と兄三代宗看が相次いで亡くなったあと、明和元年(1764)に八段に上って翌年 『象戯図式』 百番を献上したが、何故か名人には就位せずに終わった。 あまりにも傑出した 「無双」 と 「図巧」 の陰に隠れて八代宗桂の 「大綱」 は霞んでしまってはいるが、全般的にはかなりの水準で、中には宗看や看寿に見られないような作品もある。 この大綱7番は玉方の8一桂が8九まで四段跳びをする珍しい作品で、これは八代宗桂が初めて試みた趣向である。 |