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詰将棋おもちゃ箱
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2013年12月



詰物 投稿者:松田圭市メール 投稿日:2013年12月26日(木)18時02分3秒

缶詰の詰と将棋の詰は語源が同じ?!

将棋作物が詰物と呼ばれるようになった。要するに佃煮のように商品化に成功したわけだ。
そして王手王手で攻略する様子が、まるで詰将棋のようなので「詰める」という動詞が生まれた。

そんなに不自然な説ではないと思う。

「詰めてみろ」から詰め将棋が生まれたという説は強引ではないか。そんなに昔から将棋用語は整備されていたのだろうか。


19日の日経朝刊 投稿者:やなさん 投稿日:2013年12月17日(火)23時17分2秒

荒川貴道さんの記事が19日の日経新聞の朝刊に出るそうです。
興味がある方はご一読をお勧めします。


六冠馬について 投稿者:カスヤ 投稿日:2013年12月 6日(金)10時51分15秒

一部既出情報が含まれているかもしれません。
駒場和男氏の「六冠馬」(『ゆめまぼろし百番』収録図、以下「ゆ図」、画像添付しました)には早詰があります。

作意手順25手目44馬の代わりに63桂とし、
(1)61玉、51桂成、同玉は42金、同玉、33歩成、31玉、22と以下早詰(45馬が23に利いている)、
(2)61玉/81玉、51桂成、71玉は44馬、81玉、54馬、71玉、62成香以下早詰です。
(2)で玉方が金を持っていれば62成香、82玉、72成香、同銀、93飛成、同歩、72馬、同玉、
75香、73歩合、同香成、同玉、53飛(『ゆめまぼろし百番』106頁掲載手順)に63金合で不詰です。
よって近代将棋発表図(以下「近図」)はこの早詰を逃れています。
(近図と作意手順:http://hirotsume.blog.fc2.com/blog-entry-139.html)

しかし近図、ゆ図共に作意誤設定ならびに余詰があります。

近図7手目(ゆ図11手目)55馬以下馬ノコをする以前に73香成が成立しています。
同玉は74と以下若干煩雑ですがどちらの図でも詰むようです。
余計な馬ノコは余詰にあらず、という慣習に従うならば、作意手順を7手目(11手目)73香成以下
71玉、35馬、81玉、45馬、71玉…に変更すれば完全性が部分的に担保されます。
すると六冠馬が五冠馬になってしまった気がします。

近図21手目44馬の代わりに63桂とすると、61玉、51桂成、同玉は上述(1)と同様に詰みますので、
61玉/81玉、51桂成、71玉、44馬…61成桂、同玉、52角成以下が成立します。
よって近図では63桂打の時期が限定されていないというキズがあります。

近図93手目(ゆ図95手目)78歩の代わりに66銀が成立します。
以下同玉、67歩、77玉、55馬、87玉(67玉は68歩)、65馬、97玉、98歩以下作意手順と同様です。
これは余詰でしょうか。

以上、何か新しい情報がございましたらご確認ください。



有史以前 投稿者:松田圭市メール 投稿日:2013年12月 5日(木)18時13分21秒

古事記は伝承と神話をベースとした歴史書だ。そこには日本人の価値観などが伝えられている。詰将棋も古事記のようなものではないか。
「将棋のトレーニングとして詰将棋が生まれた」まずこれが嘘だ。正しくは「トレーニングとしての詰将棋の商品化に成功した」詰将棋自体はビジネスになる前からある。
棋譜などない時代。将棋の何を伝えるか?どうやって伝えるか?と思案して生まれたのが詰将棋ではないか。そこには当然、将棋の美意識がある。
最古の棋書が詰将棋集だというと「発見されてないだけで、指将棋の本があるはずだ」と考える人も少なくないが、私はそう思わない。
将棋史は詰将棋と共にあり、それより前はまさに「有史以前」なのだ。


2013年11月



Re:「からくり箱」の誤植? 投稿者:anonymous 投稿日:2013年11月30日(土)09時35分3秒

囲碁・将棋の図面や手順の校正は難しいですね。
校正のプロでも、内容が判らなければ、誤植に気付き得ませんから。


Re:「からくり箱」の誤植? 投稿者:角 建逸メール 投稿日:2013年11月27日(水)18時21分31秒

おかもとさん、誤植の指摘ありがとうございます。
増刷することはないのですが、いずれ正誤表でも作成する際に
活用させていただきます。

目次の方のミスは気づいていたのですが、14の銀を「24銀右成」と
しているのは、自分でもびっくりの大チョンボです。
ご購入いただいた皆様にはお詫び申し上げます。


「からくり箱」の誤植? 投稿者:おかもと 投稿日:2013年11月25日(月)21時22分10秒

酒井克彦著「からくり箱」を読んで、誤りと思われる箇所をみつけました。

4ページ上段
4行目「本書の表記について 56」→58
5行目「作品解説 60」→57

61ページ最上段
最終行「24銀右成」→25銀右

143ページ最上段
最終行「34桂」→43桂

いずれもささいな点ですが、、、


re: 詰め中将棋 投稿者:TETSU 投稿日:2013年11月16日(土)19時21分45秒

詰め中将棋、たくさん作られているのですね。
「中将棋情報」で紹介させていただきました。
玉方歩不成へのリンクのhtmはhtmlの誤りと思います。

http://toybox.tea-nifty.com/memo/2005/10/post_d354.html


詰め中将棋 投稿者:メキドラ 投稿日:2013年11月16日(土)17時23分53秒

詰め中将棋の玉方完全実戦初形(解答は後日更新)と玉方歩不成(解答つき)を更新しました。

http://ameblo.jp/genry-2sei/entry-11696849957.htm


村山隆治氏のこと 投稿者:解答欄魔メール 投稿日:2013年11月 7日(木)20時29分47秒

村山隆治さんが今年3月に亡くなられていたことがわかりました。享年89。
交流のあった方は、ぜひ詰パラに追悼のメッセージをお送りいただければ
と思います。


2013年10月



横田進一作について 投稿者:角 建逸 投稿日:2013年10月29日(火)12時06分8秒

最難解7手詰の項で取り上げられている横田進一作ですが、
3手目より59金、同馬、同銀以下余詰が成立しているようです。


昔の風ぐるまに推理将棋 投稿者:ISO 投稿日:2013年10月20日(日)10時56分28秒

詰将棋メモに「昔の近代将棋に推理将棋」という記事が出ましたが、自分にも似たようなことがあって詰パラの読者サロンに投稿したことがあります。見た方も多いと思いますが、おもしろい偶然の一致なのでここに再掲します。
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
◇57年前の推理将棋
 「風ぐるま」のバックナンバーを見ていたら、昭和28年3月号に「推理将棋」というタイトルの懸賞問題がありました。名前もですが、設問の文章が今の推理将棋風のフィクションになっていて驚きました。全文を引用します。
「田舎の天狗連の平手戦を見ていたところ、一図の如き局面が出来ました。此処で小生が用足しに出掛けて、帰ってみると、モウ二図の如くなっていましたが、それ迄の手数を聞くと、一図から二図まで十二手だと申します。二図に到る迄の手順を解答願います」
 内容は唯一解でなく、ここに図を紹介するほどの手順ではありません。
 これ以降ほぼ隔月で10回の出題があります。2回目は「新聞に掲載された棋譜の印刷が悪くて棋譜がハッキリしないので、虫食い部分を推理せよ」というもので、唯一解でした。3回目以降は図を示して手順を求めるだけのノンフィクションになってしまいました。
 唯一解のおもしろい手順を考える純粋なパズルということではなくて、指将棋の一部として筋の通った手順を推理する問題のようです。
 いずれにせよ、半世紀以上も前にプルーフゲームを推理将棋というタイトルで出題した先達がいたのにはビックリです。


2013年9月



Re: 全駒四桂詰の完全作は何作? 投稿者:anonymous 投稿日:2013年 9月16日(月)12時58分44秒

> 「奇兵隊」の翌月発表されたパラ2010年12月号高鳶桂「春風」がありますので全駒四桂詰は4作でしょう。

ありがとうございます。
煙詰に比べて、かなりの希少価値がありますね。


Re: 全駒四桂詰の完全作は何作? 投稿者:EOG 投稿日:2013年 9月16日(月)10時42分43秒

「奇兵隊」の翌月発表されたパラ2010年12月号高鳶桂「春風」がありますので全駒四桂詰は4作でしょう。
歩なしでは七條兼三作と中村雅哉作があります。
「氷の死刑台」は柿木先生にざっと検討していただきましたが、完全のようです。
そのうち、純四桂詰について私のブログに書いてみます。


re: 「アンバーグリス」 について 投稿者:TETSU 投稿日:2013年 9月16日(月)10時25分16秒

通りすがりさん、ご意見ありがとうございます。
昔は双玉作品を区別していた時代もありました。玉ノコの趣向作品が
「双玉だから」という理由で大道棋コーナーに回されたり、双玉室という
特別なコーナーが作られたり。
そういう時代もありましたから、今でも双玉は詰将棋として認めないとか、
双玉の必然性がなければ認めないとか、人によりいろいろな考え方がある
のも理解できるところです。
詰パラでも、今は単玉の作品も双玉の作品も同じコーナーで出題されるのが
普通になっていますが、双玉は採用しない、という担当者もいたりしました。
双玉の扱いに限らず、いろいろな考えの人がいるのは詰棋界の常ですので、
(「詰棋界全体」といういい方は誤解を招きそうですが)、そうであるから
こそ、おもちゃ箱でどう扱うかを明確にする必要があるということで、
説明したものです。

http://www.ne.jp/asahi/tetsu/toybox/challenge/ct087.htm


「アンバーグリス」 について 投稿者:通りすがり 投稿日:2013年 9月16日(月)08時20分39秒

平井康雄氏の「11玉の配置は、11との代用ではないか」という指摘は、細か過ぎるとは思いますが、一理あるようにも思いました。結局、平井氏自身が書かれている通り、“違反ではないので、認めざるを得ない”というあたりが、結論かな、と感じました。

むしろ、加藤氏の“盤面成駒なしの記録は、単玉・双玉を区別していないので、記録としては全く問題ありません”という表記にちょっと違和感を感じました。おもちゃ箱の記録としてはその通りだと思いますが、この表現だと、詰棋界全体でも無条件に認められるようにも読めてしまいます。この記録、おもちゃ箱以外ではジャンルとして認められてはいないように思いますので、問題ないのかも知れませんが、詰棋界全体では、単玉と双玉で区別される可能性がある、と書いておいても良かったかと思います。
最後の“盤面成駒なしを意識して創作しているときに11との配置は考えない”はちょっと意味不明、創作過程とは関係なく、この条件クリア方式はどのように見られる可能性がある、というだけだと思います。


全駒四桂詰の完全作は何作? 投稿者:anonymous 投稿日:2013年 9月12日(木)22時37分59秒

添川公司氏の全駒四桂詰「奇兵隊」 ( http://park6.wakwak.com/~k-oohasi/zentumeren/kanju/kanpe05h22zu.html#la151 ) が平成22年の看寿賞長篇賞を受賞していますが、この条件の完全作は全部で何作あるのでしょうか。

その昔、近代将棋昭和63年5月号で墨江酔人氏の「純桂詰」と飯田岳一氏の「氷の死刑台」が同時発表されましたが、詰将棋の欠片 ( http://hirotsume.blog.fc2.com/blog-entry-60.html ) によると、「純桂詰」の原図は不完全で駒場和男氏が修正案を提示されているとのこと。
詰棋ソフトの進化が著しい昨今では、過去に完全とされていた作品に後日余詰発見されるのは珍しいことではないので、飯田氏の作品も果たして完全かどうか・・・・。

というわけで、全駒四桂詰の完全作が全部で何作あるか、ご存知の方いらっしゃいましたら、ご教示頂けますと幸いです。


Re: 大道詰将棋 投稿者:かねこきよし 投稿日:2013年 9月12日(木)00時54分1秒

読売の真田七段の連載は、先週まで香歩問題で、最後に金問題が出題されて次週につなぎ。
今週は金問題で図面の最後が銀問題の図だからまだ続く、と思ってたら(予定どおりなのか?)終了。

うーむ。


wikipedia 「詰将棋」の項を加筆・修正しました。 投稿者:anonymous 投稿日:2013年 9月 8日(日)10時35分4秒

標題の通り、wikipedia 「詰将棋」の項を若干加筆・修正しました (看寿賞・塚田賞の受賞回数記録など)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%B0%E5%B0%86%E6%A3%8B#.E7.9C.8B.E5.AF.BF.E8.B3.9E.E3.83.BB.E5.A1.9A.E7.94.B0.E8.B3.9E

※ 塚田賞の第66期、第71期~の受賞作が空欄のままです。

第66期は、長篇賞が添川氏「桃花源」と橋本氏「イオニゼーション」の2作、藤本和氏の順列七種合駒入り煙詰「虹色の扉」が特技賞だったと記憶しているのですが、短篇・中篇の受賞作を思い出せないため、更新できない状態です。

当時の号が手元に残っていませんし、国会図書館で調べるほどの根性もないので・・・・。 (笑)

※ 塚田賞の受賞回数記録は、故・酒井克彦氏の詰将棋作品集『からくり箱』150ページの「塚田賞番付」からの引写しです。


2013年8月



re^2: 墨江酔人作品についての疑問2点 投稿者:anonymous 投稿日:2013年 8月31日(土)10時42分12秒

かぐや姫弁護人様、コメントありがとうございました。

残念ながら、私自身は有料 / 無料、自作 / 他作を問わず、詰将棋の検討用ソフトを持っていないので、追検証はできませんし、自分自身で妥当性を判定するには棋力不足なのですが、大変参考になりました。

頂いたコメントの内容を要約すると、

■ 『将棋墨酔』第8番 (順列七種捨合作品)
原図 (1三成香、2五香)
→ 不詰

作者による修正図 (1二成香、2七香)
→ 余詰

■ 同47番
→ 原図のままで完全作

ということですね。
となると、
http://park6.wakwak.com/~k-oohasi/zentumeren/kanju/kanpe211.html#la040
に掲載されている橋本孝治氏の修正案 (原図に3三歩を追加) には必然性があるということになりますね。
残念ながら、この修正案についても私の手元では追検証ができないのですが、修正案発表の時期から見て、ソフトを使用して完全検討した上で発表されたのは恐らく間違いないと思います。

参考までに、ブログ「詰将棋の欠片」でこの作品が紹介された記事へのリンクを再掲します。

http://hirotsume.blog.fc2.com/?no=85

※ コメントの遣り取りをご参照ください。


『将棋墨酔』の不完全作については、『近代将棋』や『詰将棋パラダイス』、『詰研会報』等の誌上で過去に結論が出ていたはずなのですが、手元に該当の号がないためネット上で経緯をお尋ねした次第です。

ありがとうございました。


re:墨江酔人作品についての疑問2点 投稿者:かぐや姫弁護人 投稿日:2013年 8月28日(水)23時29分43秒

将棋墨酔ですがご質問の件についてコメントします。
自前検討による私見ですので誤りでしたらご勘弁ねがいます。

(1)
墨酔8番について
原図 → 不詰め
作意38手め△6四桂打ちのところ、△4三玉として以下▲4四歩 △3二玉で不詰めと思われます。
解説では△3二玉に対する記載がありません。1三の成香配置がしぶとく、2三歩成を無効化している
のがおおきいですね。


修正図 → 早詰め
作意37手め▲6五飛のところ、6三飛成以下の早詰め駒余りが生じています。
手順の一例ですが
▲6三飛成  △4四玉  ▲5五銀打  △3五玉  ▲5三角成  △4五玉
▲5四龍   △5六玉  ▲6六銀   △6七玉  ▲6九香打  △6八角打
▲7九桂打  △6六玉  ▲4四馬   △7五玉  ▲7四龍   △8六玉
▲5三馬   △9五玉  ▲8五金 まで
2五香→2七香のおかげで2筋方面の脱出が不可能になったのが影響しているようです。

(2)
墨酔47番参考図 → 完全作
墨酔の解説の中で不詰めとされている作意54手め△8一玉の変化は少なくとも
以下の手順で駒を余して詰んでいるようです。

▲8二歩 △7一玉 ▲7四飛 △6二玉 ▲5一銀不成△同 玉
▲5二歩 △同 玉 ▲5三歩 △同 玉 ▲4四金 △4二玉
▲4三歩 △4一玉 ▲7一飛成 △5一香 ▲7四角成 △5二歩
▲4二歩成 △同 玉 ▲6四馬 △5三歩 ▲4三歩 △4一玉
▲6三馬 △5二銀 ▲同 馬 △同 玉  ▲7二龍 以下詰み


re^2: 看寿の裸玉が不完全作とされる理由 投稿者:anonimous 投稿日:2013年 8月27日(火)22時56分33秒

ご説明ありがとうございました。

普通の以遠打とは少々事情が違うということで、理屈はわかるのですが、心情的にはなかなか納得し難いものがあります・・・・。

いずれにせよ、ありがとうございました。


re: 看寿の裸玉が不完全作とされる理由 投稿者:TETSU 投稿日:2013年 8月26日(月)00時45分8秒 編集済

このアドレスは詰将棋一番星の裸玉リストですが、完全性については
おもちゃ箱の「裸玉の検証」(下記URL)の基準によっています。

完全作(◎)変同、単一駒の非限定、最終手余詰は完全とする。
準完全作(○)最終2手前からの余詰、手順前後、迂回手順、複数駒の非限定
 は準完全とする。
不完全作(△)2手変長駒余りは不完全とするが、これまでの経緯を考慮し、
 △として区別した。
不完全作(×)余詰、不詰、4手長以上の変長、駒余りは不完全とする。

これにしたがえば、図巧98番は完全作、準完全作に該当せず、不完全作と
なります。 問題は3五以遠から打つ手で、玉方最長に逃げると作意と異なる
手順になるので、非限定ではなく余詰と判断されます。

詰棋界の共通認識かというと、キズと見て準完全作とする方もいると思います。
しかし、リストを作るためには機械的に判断できる基準が必要であり、
図巧98番を完全とみなすためには、その判断基準を明確にする必要があると
考えています。
例えば「以遠打の余詰は許容」「以遠打の変長(駒余らず)は許容」などが
考えられますが、これは現在の通念からして認める人はいないでしょう。

http://www.ne.jp/asahi/tetsu/toybox/kenkyu/ragyoku.htm


看寿の裸玉が不完全作とされる理由 投稿者:anonimous 投稿日:2013年 8月25日(日)17時42分57秒

http://homepage3.nifty.com/1banboshi/image/page04-01-1.htm

↑上記の裸玉全作品一覧表では、看寿の作品 (『将棋図巧』第98番) は余詰の不完全作とされていますが、これはなぜでしょうか。
3手目 2二金 | 2二銀の着手非限定、11手目3四飛のところ、3五以遠に打つと20手目8二玉の方が長くなるという2つのキズはありますが、どちらも余詰とまでは言えないような気がします。
この作品を不完全扱いとするのは、現在の詰棋界では共通認識なのでしょうか?


大道詰将棋 投稿者:通りすがり 投稿日:2013年 8月21日(水)14時01分15秒

昨日付けの読売新聞の夕刊に、「大道詰将棋」の記事が載っています。一般読者向けのもので、詰将棋マニアには常識的な作品が紹介されているだけですが、読み物としては面白いかも知れません。火曜日付け夕刊に、あと2.3回掲載されるのだろうと思います。

しかし、筆者は真田圭一7段。余り詳しい人という印象がなく、ちょっと、意外。


コンピュータソフトによる煙詰やあぶり出し曲詰の自動生成は将来的に可能か? 投稿者:anonimous 投稿日:2013年 8月18日(日)10時04分24秒 編集済

> (1) 下記サイトのコメントにも書いた通りですが、有名な順列七種捨合作品は完全/不完全どちらでしょうか。
>
> http://hirotsume.blog.fc2.com/?no=85

上記については、リンク先のコメントで解決済みです。

さて、次の質問なのですが、コンピュータソフトによる煙詰やあぶり出し曲詰の自動生成は将来的に可能でしょうか。

ほとんど全ての詰将棋 (既発表作の99.9%以上??) において、かなり以前からソフトウェアの解図能力が人間を上回っていることは、これを読んでいらっしゃる皆様はすでにご存じだと思います。
(※ 同手数の「中岐れ」変化がある一部の作品で人間より解図に長時間要する場合があるようですが、例外的だと思います)

詰将棋作家が未発表作の完全検討にソフトウェアを使用するのは今日では常識となっています。

とは言え、現時点ではソフトウェアには解図はできても人間の鑑賞に堪え得る作品の創作は難しいと考える人が多いと思います。
しかし、煙詰の作図では常道と言われる逆算式創作についてはどうでしょうか。

http://www.ics.sophia.ac.jp/miyamoto/bt/bt11/umayabara-abstract.pdf

http://www.ics.sophia.ac.jp/miyamoto/bt/bt11/umayabara-full.pdf

上記を読んだ印象では、必ずしも遠い未来の夢物語とも思えません。
(ちなみに、1980年代には、将棋ソフトがプロ棋士を倒すのは遠い未来と予想されていたように記憶しています)

※ 豆腐図式と全駒煙では、検証すべき組み合わせの総数が桁違いではありますが。

・近い将来、ソフトによる全駒煙詰の完全自律的創作は可能になるか。
・〃 素材として提示された収束図から全駒煙の自動生成は可能になるか。
・近い将来、ソフトによるあぶり出し曲詰の完全自律的創作は可能になるか。
・〃 素材として提示された収束図からあぶり出し曲詰の完全自律的創作は可能になるか。

現時点ですでに裸玉作品の創作 (「創作」ではなく発見である旨の指摘は数10年前からありましたが) については人間の手を離れつつありますが、逆算式作図の分野でもソフトウェアが人間と互角の作図能力を発揮する時代が来たとしたら、詰将棋作家の存在意義は「逆算では創り得ない構想作品」の創出だけになるのでしょうか。

コンピュータサイエンス、詰将棋ソフトに詳しい方、ご意見をお聞かせください。


ありがとうございます! 投稿者:上野 投稿日:2013年 8月15日(木)22時10分41秒

TETSU様

アドバイス、ありがとうございます!
なるほど…焦点とは基本的には大駒の利きの重なる部分なのですね。

リンクも拝見しました。


墨江酔人作品についての疑問2点 投稿者:anonimous 投稿日:2013年 8月14日(水)18時23分40秒

皆様、こん??は。
故墨江酔人氏の作品について、2点質問があります。

(1) 下記サイトのコメントにも書いた通りですが、有名な順列七種捨合作品は完全/不完全どちらでしょうか。

http://hirotsume.blog.fc2.com/?no=85

(2) 第48期塚田賞を受賞した「歩中合による飛車鋸」作品 (97手詰。『将棋墨酔』第47番参考図) は不完全でしょうか。
実は、『将棋墨酔』の発刊以降に、「詰パラ」か「近代将棋」で「従来は不詰めとされてきたが完全作であることが判明した」趣旨の記事を見た記憶があるのですが、記憶が定かではありません。

(1)、(2)どちらか一方だけでも、お判りになる方いらっしゃいましたら、コメントを頂けますと幸いです。
よろしくお願い致します。


re: 「焦点」の定義 投稿者:TETSU 投稿日:2013年 8月13日(火)10時50分43秒

上野先生、ご投稿ありがとうございます。

「焦点」はレンズなどを通った光線が集まる点ですので、詰将棋での「焦点の捨て駒」は
一般的には二つの線駒(飛と角など)の利きの重なる点に捨てて、どちらで取っても
もう一方の利きが消える、というときに使われていると思います。
詰パラのホームページに解説があります(下記リンク)。

ただし、明確に定義されているわけではないので、拡大解釈して単に二つ以上の駒が利いて
いる点への捨て駒を「焦点の捨て駒」と呼ぶこともあるようです。

http://www005.upp.so-net.ne.jp/tsumepara/contents/5book/omoro/omoro05.htm


「焦点」の定義 投稿者:上野 投稿日:2013年 8月13日(火)07時04分2秒

詰将棋界の皆様、こんにちは。
棋士の上野です。
一つ、皆さんに教えて頂きたいことがあり、
投稿させて頂きました。

先日、何人かの棋士で話してしたところ、
「焦点」とは何か、という話になりました。
私自身は、
「駒が二つ以上利いている個所」
という認識でしたが、ある方が、

「詰将棋における焦点とは、
 『玉以外で』駒が二つ以上聞いている個所です」

という意見を言いました。
なるほどと思い、柳田さんに聞いてみたところ、

「難問です。
 そもそも定義を考えたことがありません。
 私自身は、『玉以外で』を入れた方が良いという感覚ですが、
 こういうのは詰将棋おもちゃ箱で訊いてみるのが良いのでは」

というお答えでした。
そこで、こうして投稿させて頂いた、という訳です。

正解があるかどうか分からないですし、
個々人の感覚の違いもあるかと思いますが、
詰将棋における、焦点の定義について、
何かアドバイスを頂けたら幸いです。


Re:塚田賞 歴代受賞作品 投稿者:おかもと 投稿日:2013年 8月12日(月)00時34分26秒

まずは、hirotsumeshogiさんのブログ「詰将棋の欠片」 http://hirotsume.blog.fc2.com/ にある「続・塚田賞作品の魅力」に期待するってのはどうですか?


塚田賞 歴代受賞作品 投稿者:anonimous 投稿日:2013年 8月10日(土)16時25分28秒

wikipediaの「詰将棋」の項に塚田賞歴代受賞作品リストを書いたのですが、手元に十分な資料がないため、1980年以降が空欄だらけです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%B0%E5%B0%86%E6%A3%8B#.E5.A1.9A.E7.94.B0.E8.B3.9E

どなたか、空欄を埋めてみませんか?

※ 1979年以前は、故森田正司氏の『近代将棋図式精選』をほぼそのまま引き写しました。


re: 中止なのでしょうか 投稿者:TETSU 投稿日:2013年 8月 3日(土)19時21分45秒

ホームページに「会場は分散型となり横浜、石川町、渋谷の会場に変更に
なります。詳しくは、正式に決まり次第お知らせいたします。」とあるので、
イベント自体は開催の方向のようです。

http://mind-sports.jp/


中止なのでしょうか 投稿者:やなさん 投稿日:2013年 8月 2日(金)21時31分16秒

TETSUさま
道理で話題にならない訳ですね。
HPがそのまま、というのはどうなのかと思いますが。
無駄足をしないで助かりました。


re: 国際頭脳フェスティバル 投稿者:TETSU 投稿日:2013年 8月 2日(金)09時11分33秒

パシフィコ横浜での開催は中止になって、別の会場を探している模様。
もうすぐなので、最悪イベント自体が中止になるかもという状況のようです。

http://524.teacup.com/yss/bbs/2222


国際頭脳フェスティバル 投稿者:やなさん 投稿日:2013年 8月 2日(金)06時27分0秒

あまり話題になってないようですが、パシフィコ横浜で
「国際頭脳スポーツフェスティバル2013」というのがあります。

http://mind-sports.jp/

囲碁、将棋、チェスの他、どうぶつしょうぎなど多彩なゲームがあるようですね。


2013年7月



今度は毎日新聞に 投稿者:やなさん 投稿日:2013年 7月31日(水)06時40分42秒

立て続けで申し訳ないです。
今朝の毎日新聞7月31日のこまおと欄に看寿賞・門脇賞の記事が出ております。


re: またまた朝日新聞に 投稿者:TETSU 投稿日:2013年 7月29日(月)23時48分49秒

こちらにでています。非会員でも記事の頭の部分は読めます。
岡村さんの「涓滴」の図面と詰め上がり図が掲載されています。

駒36枚、次々消えて3枚に? 詰将棋「看寿賞」決まる

http://www.asahi.com/culture/update/0729/TKY201307290272.html


またまた朝日新聞に 投稿者:やなさん 投稿日:2013年 7月29日(月)21時59分29秒

編集長からの情報です。
明日30日の朝日新聞の夕刊に看寿賞の記事が出るそうです。
たぶん全部載らないでしょうが、岡村氏作「涓滴」は図面も出るかも?


違う方向に 投稿者:やなさん 投稿日:2013年 7月28日(日)08時56分37秒

朝日新聞を見てますが、その後は多少違う方向に行っているようです。
事前情報通りではなく、申し訳ないです。


朝日新聞 投稿者:やなさん 投稿日:2013年 7月25日(木)20時40分40秒

朝日新聞朝刊に明日26金曜から4日連続でシニアで詰将棋を楽しんでいる人の紹介記事
が載ります。
大橋健司さん、加賀孝志さん、谷川浩司さん、若島正さんだそうです。


「とくつめ」「竹馬」販売 投稿者:大橋光一 投稿日:2013年 7月15日(月)22時12分54秒

全日本詰将棋連盟書籍部で「とくつめ」「竹馬」の販売を始めました。

「とくつめ」は、 定価1,050円(税込)、送料210円(168グラム)、合計1,260円です。
「竹馬」は、 定価1,575円(税込)、送料290円(275グラム)、合計1,865円です。
同時購入の場合は、定価2,625円(税込)、送料290円(443グラム)、合計2,915円となります。

ご注文は、郵便振替でお願いします。 〔番号〕00290-9-81015 〔口座名〕大橋光一


竹馬(ちくば) 投稿者:おかもと 投稿日:2013年 7月13日(土)20時55分45秒

髙木秀夫/岡本正貴による詰将棋作品集「竹馬(ちくば)」が出来ました。
1手詰の立体曲詰から無仕掛図式の91手詰まで、こだわりの作品100題+αです。
価格は1500円+税。14日の全国大会で販売します。
近々、全詰連書籍部から購入可能になる予定です。
また、アマゾンからも購入可能です(現在予約受付中)。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4864761264/hiraistlibrar-22/



とくつめ 投稿者:柳田明 投稿日:2013年 7月13日(土)06時16分27秒

徳島新聞詰将棋好作選「とくつめ」が出来上がりました。
詰パラ会員が出した短編を160題収録。(7手、9手、11手)
とてもカワイイ新書版に仕上がりました。
頒価1000円+税50円です。
名古屋全国大会にて初売りとなります。


からくり箱 投稿者:角 建逸 投稿日:2013年 7月10日(水)18時29分0秒

昨年7月に亡くなられた酒井克彦氏の作品集「からくり箱」が完成しました。
看寿賞2回、塚田賞7回、半期賞6回、ジャーナル賞3回など、数々の名作・
傑作を含む、代表作100作を収録。
ご本人による「私のベスト10」、若島正氏による「酒井克彦ベスト10」など
の読物も?録し、作者の詰将棋歴を辿る一助になるでしょう。
・変形B6判(詰パラと同じサイズ)192ページ。
・定価1575円(税込価格)

将棋連盟販売部あるいは詰パラ通販でお求めください。
名古屋で開催される詰将棋全国大会会場でも販売します。


2013年6月



re: すみません 投稿者:TETSU 投稿日:2013年 6月28日(金)21時16分33秒

ちょっと考えてみたら、確かに92飛も同じ枚数でできますね。
取り消しの件、了解しました。
既存作品にはないようなので、92飛の図をメールで送っていただけますか。


すみません 投稿者:いわし 投稿日:2013年 6月28日(金)19時41分34秒

飛車の最遠打は取り消します。
9二飛と打つタイプも同じ枚数で作れるので。
#1枚多くなると勘違いしてました。

まことに勝手ですが、よろしくお願いします。


re:re JAVA動作せずの連絡 投稿者:通行人B 投稿日:2013年 6月23日(日)15時44分53秒

コントロールパネル内にはJAVA7 UPDATE25 129Mb と最新のがインストールされて有ったのですが
これを削除してJAVA7 UPDATE25 129Mb を再インストールする事により不具合は解消されました。
もちろんコントロールパネル内の表示もなんら変化なくJAVA7 UPDATE25 129Mb です。


re: JAVA動作せず 投稿者:TETSU 投稿日:2013年 6月23日(日)11時08分34秒

詰将棋劇場 blogで、同様な現象が報告されています。
・JAVAの版数が古い
・JAVAの版数は最新だが、古い版のJAVAが残っている
ときに不具合が起きるようで、一度全部の版のJAVAを削除してから
最新版のJAVA(SE 7 update 25)をインストールすると解決したと
いうことです。

http://hiraiyas.blog.so-net.ne.jp/


JAVA動作せず 投稿者:通行人B 投稿日:2013年 6月23日(日)07時16分42秒

JAVA,,以前からセキュリテイー云々がありましたが貴サイトの盤面が表示しなくなりまして
慌てています。
小生のPCのみの問題なのかどうか判りかねます。一度確認をお願い出来ないでしょうか。


握り詰大会 投稿者:詰ファン 投稿日:2013年 6月21日(金)01時13分51秒

握り詰大会というものをやっています。
http://nigiridume.web.fc2.com/


国際三人将棋プログラム 投稿者:1103 投稿日:2013年 6月15日(土)13時06分23秒

棋譜並べ用のプログラムを作りましたので紹介です
あくまで棋譜並べ用なので、駒の動き等は全部人間様が判断しないといけません
http://www.ishokai.com/games/3nin-shogi/

ブラウザによっては見えないかもしれません
うまくいけば、添付画像のような感じに見えるはずです・・・


あと、「太陽廻り」というのは右回りのことだと思いますので、席順は右回りが正しそうですね
(北半球における太陽の動きは右回りなので)




「鉄道将棋という提案」 投稿者:いちかわ 投稿日:2013年 6月 8日(土)08時21分58秒
タノウエタカさんという方の「タノウエタカヒログ」内の記事で、
面白そうだったので、紹介させて頂きます(^^

 「鉄道将棋という提案」
 http://inouetakahilog.blog55.fc2.com/blog-entry-219.html


re: 不文律? 投稿者:TETSU 投稿日:2013年 6月 2日(日)03時41分28秒

不文律といわれても、どこにも書かれてないから知ってる人以外は
わからない。だから早く成文化しようということで検討されていた
はずなのですが・・・

何十年も根幹となる規約の改定がたな晒しのままというのは、通常の組織
では考えられないですね。全詰連が(詰パラも)ボランティアベースの
運営で、全員に影響するような事項を決定するプロセスが存在しないことが
要因かもしれません。

慣習には矛盾点もあり、人によって考えが違うところもあるので、
そういうところを成文化しようとすると、反対する有力者がでてきて
収拾がつかなくなります。

全詰連として示す規約は大部分の人が合意できる範囲に留めるべきで、
一般の人が詰将棋で楽しむには実用上それで十分なはずです。

灰色部分(微妙な作品の完全性や微妙な解答を正解とするかどうか)の
扱いは、判例を整備したり、考え方の指針を示すにとどめ、基本的には
各誌・各サイト・本の執筆者など出題元にまかせればよいと思います。

現在の規約委員会は一般向けの規約を目指して検討していたと思いますが、
いまどういうステータスになっているのかな。

おもちゃ箱への投稿や解答は、下記リンク先の「詰将棋のルール」を
ご参照ください。
微妙な作品のときは、メールで投稿時に質問してください。

http://www.ne.jp/asahi/tetsu/toybox/shogi.htm#shogi6


続・無駄合談義について 投稿者:桃燈 投稿日:2013年 6月 2日(日)03時08分33秒

当初無駄合談義をこの掲示板にて発案したのは、私の有するツールでは発信力が低く、余り意見がもらえないためという面がございました。
そこで、広く意見をもらえる場所としてこの場所を選び、使用させていただいていたのですが、さすがにログが長く、選挙してしまうような形になってしまいましたので、私自身が保有するブログにも記事を書きました。
私に対する意見につきましては、そのブログのコメント欄も活用できるように、と思っております。

http://watakusimi.blog64.fc2.com/blog-entry-139.html

以上のエントリになります。

なお、詰将棋メモに、川崎規約案の一部抜粋などがありましたので、それを前提として更に議論を進めてあります。


かぐや姫弁護人さんに一言、私からお答えしておきますと、現在明文として規約と呼べる正式なものはどうやらなさそうです。
綿貫規約と呼ばれるものがそれに一番近いとは思いますが、古くて時代にあっていないことと、詰将棋メモによると草案であることを考えると、全く正式なものとまでいえるかは謎です。
つまり、詰将棋って本元となる規約が存在していないらしいです。いいのか、それ……


不文律? 投稿者:かぐや姫弁護人 投稿日:2013年 6月 2日(日)00時07分56秒

詰将棋ルールの記事をみての理解と感想です。

・不文律なるものがいつからともなく存在する
・規約に従い発表された作品も不文律を理由に不完全とされることがある
・規約は検討はされど改訂されない

不文律などオピニオンリーダーが変われば変わっていくものです。
人脈など無いネット詰めマニアはなにを信じて作図すればよいのでしょうか?
作品募集者に強力なリーダーシップを望みます。


2013年5月



不文律? 投稿者:桃燈 投稿日:2013年 5月27日(月)07時00分44秒

>「現行の不文律と異なるから受け入れられないだろう」
>ということです。

私の文章は「現行の不文律に違反しない構造理解がありうる」としているんですがね。
これまでの議論を見る限り、どういう構造で考えるかという点について、詰めて考えている人が多いとは思いません。
構造理解についても不文律というほどのものがあるというなら、私の詰将棋に対する認識の誤りということになりますので(誤るほど分かりにくいコンセンサスってどうなのってことは置いておくとして)、自分の立論は引っ込めますよ。

他の人はどういう構造で理解しているのか、という点を知ることも目的のひとつなので、その部分をなんら説明せずに頭ごなしに「それ、不文律と違うから」といわれても納得はいかないですね。
まぁ、細かい部分まで詰めて考えていますし、面倒でしょうから考える気が起きない人も多いでしょう。誰彼構わず答えてほしいとまでは高望みして考えているわけではないです。
どうせなら詰将棋のルールをもっと理解したいという考えと、元来の理屈を詰めて考えようとする悪癖の結果細かすぎる議論してるので、こういう面倒臭いタイプの相手が苦にならない人にそこそこにあしらってもらうのが一番でしょうね。


re: 国際三人将棋の実戦譜 投稿者:TETSU 投稿日:2013年 5月27日(月)02時32分0秒

>227手目は、76宣となっていますが、79宣の間違いではないでしょうか

ご指摘ありがとうございます。
元々の将棋月報の記事の誤植か、私がカピタンに転載したとき間違えたか
どちらかだと思います。
図面を訂正するときに、合わせて訂正します。


re:私の無駄合定義について 投稿者:TETSU 投稿日:2013年 5月27日(月)02時21分50秒

長々と書いていただきましたが、私が書いたことは単純で、
「現行の不文律と異なるから受け入れられないだろう」
ということです。
これは私の主張ではなく、全詰連の規約委員会自体が「不文律の成文化」
という前提で検討しています。
そうでないルールも、もちろん提案可能ですが、全体の合意が取れず
不毛な努力に終わる可能性が高いのでお勧めしません。


国際三人将棋の実戦譜 投稿者:1103 投稿日:2013年 5月27日(月)00時31分59秒

何度もすみません
棋譜を最後まで並べてみました

227手目は、76宣となっていますが、79宣の間違いではないでしょうか
(画像1枚目は、226手88軍まで)
88軍で後手が絶手をかけられているので、合い駒しないといけませんが、76ではなく79に打つ必要があるかと思います

230手目は、810軍成ですが、88の軍と712の軍、どちらも810に動いて成れます
(画像2枚目は、229手710輿まで)
どちらが動いても、詰みは変わらないので、あまり問題ではないのですが・・・



RERE私の無駄合定義 投稿者:小林看空 投稿日:2013年 5月26日(日)22時36分7秒

この問題については、いままでの論議とはまったく違った方向からアプローチしてみたい、
と考えています。
まとめるのに、もう少し時間をください。

========

また、先にに投稿した内容に打ち間違いがありましたので、訂正ください。
すみませんでした。

========

仮定1. 詰方最善である。

こう規定してしまう(仮に最短で詰めることを最善として)と、長く詰める詰め方はすべて不可になります。
また、受方のすべての合駒は有効になります。(単なる手数延ばしを含めて)

このルールは、現在の詰将棋では、規定できない(受け入れられない)ことになります。
つまり受方は最善でなくてもよく、相手玉を詰めることだけが目的となります。
   ↑
   詰方

===========

また解答欄魔さんのわたしの引用

>それと看空さんが言われた
>「詰将棋は大きくみた場合、フェアリー詰将棋のほんの一部」
>という発言は、フェアリー駒や特殊ルールを使用しない中で
>「かしこ詰」(攻方最善、玉方最善)=普通の詰将棋
>「ばか詰」(攻方最善・玉方最悪)
>「自殺詰」(攻方最悪・玉方最善)
>「最悪詰」(攻方最悪・玉方最悪)
>という分類のうちの一つにすぎない、ということを意味しています

これも間違っています。

「かしこ詰」=普通の詰将棋ではありません。

普通の詰将棋は、この4つの分類の外にあるものです。
(昨年のわたしのリレーエッセイのところを参照ください)
フェアリーの世界はもっと広いのです。


ではまた。

看空


re:re:私の無駄合定義について 投稿者:桃燈 投稿日:2013年 5月26日(日)21時48分38秒

TETSUさんの意見はなるほど、と思う部分もあります。
確かに、現行の慣習に逆行するという意見はありうると思います。
ただ、私が定義に入る前に長々と前提論をぶち上げた意味はやはりあるのではないかと思う次第であります。
というのも、TETSUさんの示す反論は

無駄合を定義上変長となる場合における例外的許容事項として位置づける

という前提から出発していなければ成立しないからです。
この点を考えると、私は無駄合談義の話題を一番最初に出したときから

「詰将棋でしばしば問題視される定義については、この「受け方最善」というルールに吸収されて一義的に定まると考えています。
そうすると、無駄合についても同様に考えたらいいのではないかと思います。」

と表現しています。
つまり、

無駄合を定義上変長となる場合に位置づけていない

のです。どちらが正しいかはともかく、このようにどの立場から立論しているかという点を正確に把握しなければ、反論として成り立っているかどうかで大きな違いをもたらします。
少なくとも、私の立場から見たとき、TETSUさんの提示した反論というのは反論として成立していないのです。

そうすると、TETSUさんの示した反論は次のように分解されることになると思います。

1.受け方の応手ルールについて、TETSU規約案の通りに「受け方最長」のみで考えるべきか、私のように一定の事項を追加で取り入れて「受け方最善」という枠組みで考えるかどうか

2.私のように「受け方最善」という枠組みで考えるとして、無駄合論議を「最善」の枠で考えるか、「変長」の枠で考えるかどうか

そして、この枠組みについては、論理的にどれが正しいとかそういう話題にはなりえないと考えていますので、どの考え方で妥協し、コンセンサスを作るか、に終着するのでしょう。

私見を重ねますと、現代詰将棋では、変同駒余りは本手順としないという運用がほぼ妥当していると考えます。
そしてこのことは、変別や変同との関係で解答時の複雑さを「減らす」というのが私の主張ですので、その観点も含めると、1.で「受け方最長」のみを規約にすべきという考え方は少数派になるのではないかと思っています。
次に、2.で無駄合を最善の枠に収めるべきかどうかという観点から考えます。
仮に、無駄合を変長救済の枠組みで捕らえるべきであるとするならば、私が提唱した無駄合定義の2つ目である「新変化枠組み論」に立てば解決するように思います。
しかし、各種のブログ等でのアンケートを見る限り、「新変化枠組み論」は狭すぎるという価値判断が散見されるように思うので、これを採用しないとなると、変長の例外的許容の枠組みを構築するのはほぼ無理であろうと思います。
そうすると、無駄合論議を変長の枠で捉えた場合は、エイヤと反対意見を押し切って新変化枠組み論を採用するか、定義づけに失敗して無駄合論議を延々とすることになるか、のどちらかになる公算が高そうだと思います。
そこで、私は「最善」の枠組みに突っ込んで、広く無駄合を認めておいて、評価の段階で認めるかどうかの話をしたら良いのではないか、との論を立てているわけです。
そして、こう考えると、2.においては「最善」の枠で議論するという構造をとることになります。
少数派かもしれませんが、構造そのものはありうる構造だと思っているところです。


なお、最後に復元型無駄合について触れておきます。
私は「無駄合の範囲を広くとってもいいのでは」という議論をしているので、

「逃げれば3手詰だが合駒すると30手で復元なんていうのを認めたら」

という想定はおかしいです。これは合駒が「有効」のときに起きる現象なので、何かを勘違いしていると思います。
TETSUさんのA案のように全部「有効」とすると、完全作が激減すると思われるので、世に出てくる作品が減ることは間違いありませんが、出題された場合には「有効」であることを前提に「読まなければならない」ことには変わりないので、解答時の負担ってそう大きく変化することはないと思うんですが……


三人将棋 投稿者:1103 投稿日:2013年 5月26日(日)08時53分23秒

早速、対戦の機会がありましたので報告です
先手を詰ました時点ではかなり優勢でしたが、ポカでタダ取られの手を指したりして劣勢になり、負けてしまいました
画像は、終局図です
(盤は大きすぎて持って行けなかったので、紙製のしょぼいやつで代用)

同盟や詰みに関してのルールが曖昧で、ルールの解釈次第でゲーム展開にも影響があるので、ちょっと困りました
棋譜を最後まで並べれば分かるのかもしれませんが



re: 私の無駄合定義 投稿者:TETSU 投稿日:2013年 5月26日(日)06時03分10秒

言われたことに反論していくと話が広がるばかりですよ。
なので、原点に戻って桃燈さんが考えている定義を示されたのは
よい判断と思います。

手数を基準にするのは、判定が簡単なので、将棋プログラムでよく使われて
います。初めて実装したのは柿木将棋で、柿木さんは「詰将棋プログラムに
おける無駄合アルゴリズムの開発」で1997年にCSAアルゴリズム賞を
受賞しています。

この方法は現行で完全作とされる作品への適用ではうまく働くので、
解答プログラムとしては有効なアルゴリズムです。

しかし、次のことからこれを規約にするのは問題があります。

・現在は綿貫規約で認められていた変化長手数をNGとするのが流れなので、
 それと逆行する方向にルール(不文律、慣習)を変えることになる

また、復元型無駄合自体も異論があるところなので、これを無条件に認める
点も問題視されそうです。逃げれば3手詰だが合駒すると30手で復元なん
ていうのを認めたら、作家的には表現の可能性が広がってうれしいかも
しれないけど、普通の詰将棋ファンは逃げ出しそう。


私の無駄合定義 投稿者:桃燈 投稿日:2013年 5月26日(日)04時08分4秒

よく考えたら、規約化を先行させるべきという意見に終始して、じゃぁどんな規約をあんたは考えてるんだよ、って部分をすっ飛ばしてたので追加します。

私個人としては

1.合駒を直後に取った場合で、
2.反復機構手数分だけ手数が伸び(反復機構がない場合は2手)
3.取った合駒を使わずに詰む

場合を無駄合としたら良いのではないかと思っています。(手数基準論と名づけています)
これは無駄合@wikiにおける最広義無駄合にかなり近い定義だと思います。
(ただし、復元型無駄合等も定義上含める形にして、漏れのない定義化を図っているつもりです)

この定義ですと、ツイッターで議論になった例を使いますと、

攻方26香、36馬、53と、62と、受方13玉、持駒なし(めいと31号山田剛氏の例題)

の2手目24歩合は「無駄合」となります。

無駄合の範囲がかなり広がる定義ですが、無駄合判定について解答時の労力はどのような定義をとっても変わらないと思っていますので、無駄合を広く認めて完全作を増やしたほうが創作時の負担軽減に繋がるのではないかと思っています。
特に変な作品については、定義上完全とした上で、作品の評価の段階で作品価値をほとんど認めないことにするだけで良いと思っています。


ただし、これは私の意見でしかないので他の枠組みも考えられるとは思っています。

具体的には

新しい変化が増えない合駒

を無駄合とする、新変化枠組み論なんかはその一例だと思います。
ただし、この場合は、「新変化」の定義が問題となるので、そこを詰めなくてはならないでしょう。
理論的に明確な議論をするのであれば

「新変化」とは符号レベルで全く同一な場合を除いた場合すべてを指す

くらいにしておけばかなり明確でしょう。
この場合は無駄合@wikiにおける狭義無駄合とほぼ同じ定義になります(ただし、無駄合@wikiの具体例の1つ目は私個人の意見では成立していません。合駒それ自体が最善手になっていないので)。

この定義を用いますと、無駄合がかなり減ると思います。
しかし、無駄と判断するためには結局「全手順読まなくてはならない」ので解答時の負担は変わりません。
有効合が増える結果として駒余り不完全作(駒余りの禁を前提にしています)が増殖しますので、創作者に不利な定義でしょう。
ほんのちょっとでも符号にずれが出たら有効になってしまうので、例えば

A(合駒なし11手駒余りなし手順)
A´(2手目に合駒あり13手駒余り有り手順。合駒部分以外Aと全く同一手順)
B(A´と同様の合駒あり。A´とは4手目に分岐する新変化。5手目で詰む)

という場合でもBというほとんど誰も考えない新変化のために有効合となって不完全の烙印を押されてしまう場合が発生します。
これは創作において極めて大きな負担となりうるので、私はおかしいと思っています。


他の枠組みはないかという点に関しては私は思いつきませんでした。
「実質的に新しい変化がない場合」みたいなものも考えましたが、「実質的」を定義できなければこれまでと同じような議論をもたらします。
そのため、上記2つの定義では失敗である場合には私の立論は失敗して、無駄合の定義って無理なんじゃないかなぁという方向に議論が流れそうに思います。
まぁ、手数基準論は、無駄合を広く取った上で、作品評価の段階で後は判断したら良いではないか、という価値観を抱き合わせていますので、この価値観を受け入れることができないという根拠がある場合には成立しません。
その意味では新変化枠組み論のほうが整っているかもしれません。
ただ、詰将棋の普及のためにもルールは分かりやすく、というTETSUさんの意見をベースにすると、手数基準論を否定するのは難しいんじゃないかなぁと、私個人的には思っているんですがどうなんでしょう?

ちなみに、このあたりの議論はツイッターでやり取りしながら議論してる部分といくらか被りますので、http://togetter.com/li/504427こちらも参照すると、理解が深まるかもしれませんし、さらに混乱するかもしれません(笑)


re:無駄合談義について 投稿者:桃燈 投稿日:2013年 5月26日(日)02時29分54秒

なんというか、一部表現がおかしく、誤解を生んでいるようなので、その点お詫び申し上げます。
どうにも、うまく伝える表現を作るのは難しいですね。

まずはTETSUさんが求める、ポイントを短く絞ったものを作る努力をしてみます。

私の意見の要旨は

シンプルなルールから全ての問題の結論を演繹できるようにするべき

といったところでしょう。
無駄合に関して言いますと、

有効・無駄という判断はシンプルな定義から一義的に導くことができるよう定義づけすべき

ということになります。
またそのような定義は作成可能だとも思っています。

以下は細かく議論をしていきます。

この件に関しては、どうにも「無駄合は人によって解釈が異なり、一義的な定義づけは不可能である」といった形の反論が多いように思います。
理論的にどうあっても有効か無駄かの判定ができない合駒が実在するならともかく、人によって判断枠組みが違うといったレベルの問題は、全詰連なりで定義づけした後に評価の問題と考えることもできようかと思います。
個人的には曖昧な部分を残してしまって、その部分にかかる問題が出てきたときに毎度議論するとか、曖昧な部分に触れないように創作すべしとか言うよりも、規約として明確にしたうえで、この作品の評価をどうするか、という話題にしたほうがいいと思います。
規約を悪用するような作品が世に出てきても、単純に評価しなければ良い話で、完全性の段階で議論を提起せざるを得ないような現状のほうが問題あるといえないのでしょうか?

私はこのような考え方を持っていますので、解答に当たって労力が変わらないのであるならば、広く創作者を救済するようなルールで構わないだろうと思っています。
詰将棋という文化への参入という観点から見れば、解答者にとって見れば一義的に解答を導き出せることが望ましいですし、創作者にとって見れば創作の難易度が下がるほうが良いでしょう。

無駄合に関していいますと、その合駒が無駄かどうかを解答者が判断するためには、合駒をする場合としない場合の手順をそれぞれ読まなくてはならないことには変わりがなく、理論的には読む必要のあるノード数に大きな違いが生まれることはないはずだと思います。
ですので、明確にルールを定めてそれに従って演繹すれば無駄合の判定ができるようになるだけで規約として十分だと思います。
そして、個人的には広く無駄合を認める規約にすることで完全作を増やし、創作者のハードルを下げると共に、評価の段階で一定の絞りをかければ十分だろうというのが主張です。


次に、TETSUさん「提唱」という表現は確かにまずかったと思いますので、その点は訂正しますが、その後の解の一意性に関しては異議があります。
というのも、TETSUさんはキズですらないという評価の「変同」について、私はキズという評価ではあるものの、完全作として取り扱うという点については共通しているからです。
つまり、変同について許容すべきと考えている範囲こそ大きく違いますが、私の言う解の一意性とTETSUさんの言う解は一意に決まるとは限らないという意見は、本質において同じものを別の角度から表現しているに過ぎないと思います。


なお、ひとつ明確にしてほしいと思う用語法があります。

私は「キズ」という用語は「作品の評価について負の評価がなされるものとして定型的に考えられているもの」という認識でいます。
つまり、「キズ」がいかにたくさん有ったとしても、またそれがどれだけ作品価値を低下させるほど重大であっても、作品として「完全かどうか」とは無関係だと思っているのです。
この点、「キズ」という表現の中に、重大であれば「不完全」とまで評価する可能性を含めて使っている人が多いと思います。
このように「不完全」と「キズ」の間に連続性を認める用語法で運用しますと、キズが軽いか重いかという判断を創作時にせざるを得なくなることがあり、自作の完全性について大いに悩んだことがあります(そのときは迂回手順ってどう判断されるのかで悩みました)。
TETSUさんも完全性という語とキズという語を並べており、連続性を認めているのかと思います。
この点、完全性とキズは明確に区別すべきではないのでしょうか?


次に変同に関するTETSUさんの意見です。
変同駒余りも解答時に認めるべきであるという意見ですが、その理由が複雑で分かりにくいというのが私の直感と反しています。
というのも、変化別詰との関係で変同を広く認めると却って解答時に困難を多くもたらすのではないかという感覚が私にはあるからです。
私が詰将棋を解いているとき、手数が明記されていない場合などは特にそうなのですが、変同らしき順を見つけたときは、変別に陥っていないかをチェックすることになります。
特に解図能力に乏しい私のような場合には、この段階で非常に労力を使います。
変同駒余りを本手順としないというルールが存在するほうが、変化の割り切りをする際に労力を減らすという意義があると思います。
また、同様の理由で変同は「キズ」と判定して評価を落とすような枠組みのほうが、解答をするうえでは分かりやすいと思っています。
この点、「規約に組み込むと複雑になって分かりにくい」というTETSUさんの意見には納得がいきません。
変別そのものを(創作時に)排除すべきという意見なら納得できますが、変別と切り離して変同を考えたとき、変同駒余りを本手順としないことや変同をキズと評価することは、解答において複雑さを「減らす」ものではないでしょうか?


次に解答欄魔さんへの返事をします。

まず最初に、私はフェアリーは個人的な好き嫌いもあってほとんどやらないので、あまり知らないことを前提にしてください。
解答欄魔さんが提示したフェアリーの4つの枠組みの定義が正しいことを前提にしますと、フェアリーの「かしこ詰」と「詰将棋」は同じものではありません。
余詰めを不完全としている「詰将棋」は明らかに攻め方任意です。

詰将棋がフェアリーの一分野というのも個人的にはおかしな議論だと思っています。
詰将棋のほうが歴史的に先行しているのはおそらく明白だと思いますので、フェアリーがローカルルールの収斂場になっているという表現のほうが適切ではないでしょうか。
ローカルルールが市民権を得て、別の競技・文化に発展することはままありますし、本家となったものを凌駕することもしばしば起きることですが、現状をもって「詰将棋」がフェアリーの一分野に過ぎないという表現をするほどフェアリーが市民権を得ているとは思えません。
却ってフェアリーの立場を危うくする意見ではないでしょうか?(歴史的に後発のものが、いわば成長途中段階で、本家を名乗るような発言は、往々にして反感を買う恐れのある行為であるので、フェアリーを推進している人から見ると傍迷惑になる可能性があります)

最後に、具体的な無駄合の例を出してほしいとのことですが、これも私の意見を前提に考えますと、おかしな話になります。
私は「明確にルールを定めてそれに従って演繹すれば無駄合の判定ができるようになるだけで規約として十分」であるとしていて、「規約として明確にしたうえで、この作品の評価をどうするか、という話題にしたほうがいい」という意見です。
このような議論をする以上、私の言う規約では「無駄かどうか判定できない合駒は存在しない」ということが前提とならなくてはなりません。
従って、判定できない合駒が見つかれば、それは規約として不完全であることの証明になり、またどのような規約であっても判定できない合駒が見つかれば、私の論理が成立しないことの証明になります。
そして、このような検討を経ることなく、これは無駄、アレは有効といった類型論を展開することはおよそナンセンスなのです。
この規約案ではどうなる、あの規約案ではどうなるという話題を出して、イメージをつけやすくするという意味なら分かりますが、概括的なルール論では決着が付かないという意見そのものが私の意見と対立的なので、そのあたりを理解していただけますと幸いです。

個人的には、ルール化に失敗し、類型論に突入せざるを得なくなった時点で、無駄合は分かりにくいという決着にしかならないと思っていますので、分かりやすい規約にすべきという議論から出発するのであれば、ルール化論を先行させて詰めていくべきだと思っています。


無駄合談義について 投稿者:TETSU 投稿日:2013年 5月25日(土)20時38分9秒

興味深い話題ではありますが、これまで延々と不毛の議論が繰り返されて
来たのも事実。もともと限られた例外事項のはずの無駄合を一般化して
広く規定すると、規約を悪用するような例がでてくるし、厳密に限定する
のも複雑すぎるので、皆が同意するような規約が作れないのが原因でしょう。

そこで、私の規約案では、創作の規約として
「規約上扱いが不明確な作意手順は避ける。」
としています。

桃燈さんの意見、長すぎてまだ全部読めてないんですが(いいたいことを
絞って短くまとめていただくと助かります)、私の名前がでているところ
だけコメントしておきます。

>TETSUさんが提唱する「受け方最善、攻め方任意による一意解」とでも
>言うべきルールからスタートすべき

受け方最善、攻め方任意は別に私の提唱ではありません。
また、一意解とは私は言ってないはずです。TETSU規約案では、
 「上記の基準で受方の手が2通り以上ある場合は、どれを選んでも
 かまいません。解答としてはどれも正解です。」
 としています。私は変化同手数は完全性には関係ない(キズでもない)
 という立場です。各人が自分の詰棋観で評価すればよい話です。

>詰将棋のルールに関しては、TETSUさんの規約案を中心に検討することで
>明確化を図ることは十分可能です。
>TETSUさんは駒余りの禁を玉方最善手ルールに組み込まないという主張
>ですので、変同駒余りも定義上はキズに分類されるのでしょう。

駒余りについては、創作の規約として
「作意手順で詰んだときの詰方の持駒はなしであること」
としています。
変化同手数については、上記の通り、駒余りも余らない変同も
完全性には関係がない(キズでもない)という立場です。

http://www.ne.jp/asahi/tetsu/toybox/kenkyu/kiyaku01.htm


無駄合談義 投稿者:解答欄魔 投稿日:2013年 5月25日(土)13時05分22秒

横からすみません。

桃橙さんの当初の発言「無駄合の定義も詰将棋の基本ルールから
シンプルに導き出せたらいいのではないかと思っています」
というところからだいぶ離れた議論になってしまいまいましたね。

そもそも論で言うと、ルールに関しては、作品の好みと同様に
百人百様の考えがあるので、ごく基本的な部分以外の意見調整は
無理だと思います。
これは過去の論争を含め歴史が証明しています。

それと看空さんが言われた
「詰将棋は大きくみた場合、フェアリー詰将棋のほんの一部」
という発言は、フェアリー駒や特殊ルールを使用しない中で
「かしこ詰」(攻方最善、玉方最善)=普通の詰将棋
「ばか詰」(攻方最善・玉方最悪)
「自殺詰」(攻方最悪・玉方最善)
「最悪詰」(攻方最悪・玉方最悪)
という分類のうちの一つにすぎない、ということを意味しています。

その中で詰みの概念という一番大切なことの確認があるわけで、
たとえば飛び駒での最終手「透かし詰め」はどうするのかとか
いろいろな問題をはらんでいえうわけです。

これ、全然簡単には終わらない話になってしまいますので、
小生はこれでお暇させていただきます。
元よりこの問題にだけは関わらないようにしようと、はるか
昔から思っていたのですが(笑)。

桃橙さんには、当初の話に戻っていただき、具体的な無駄合
に関する例(無駄合に該当する、しない)を上げてほしい
と思います。
概念的なルール論ではこの問題は収拾はつきませんので。


re: 国際三人将棋の実戦譜 投稿者:TETSU 投稿日:2013年 5月25日(土)12時32分38秒

1103さん、こんにちは、
確かに変ですね。
カピタンからおもちゃ箱に転載するとき、座標の見方がわかりにくいと思って
図面を追加したのですが、そのとき私が勘違いしたようです。
近いうちに修正したいと思います。
ご指摘ありがとうございました。

実際に盤駒を作るとはすごいですね。
私も昔べニア板を使って国際三人将棋の盤を手作りしましたが、駒は将棋駒で
代用していました。


国際三人将棋の実戦譜 投稿者:1103 投稿日:2013年 5月25日(土)10時13分31秒

こんにちは
三人将棋の棋譜を並べてみたのですが、解説図の通りに並べていくと、10手目が不可能でした

先手→中手→後手が左回りとなっていますが、右回りにして
盤面の座標も横方向を逆向きに、左から1, 2, 3, ..., 13と番号を振ると、辻褄が合うように思います
(59手目までは確認しました)

画像は、実際に盤駒を作ってみました
まだ勉強中ですが、いずれ実際に対戦したいと思ってます



Re:Re:Re:無駄合談義の無駄 投稿者:桃燈 投稿日:2013年 5月25日(土)03時09分54秒

返事が遅くなり申し訳ありません。

いろいろと意見がありますがひとつずつ返事をしていこうと思います。

まず、小林さんは事あるごとにチェスを引き合いに出していますが、このこと自体は論理的にはなんら意味を持ちません。
というのも、今回議論をしているのはあくまでも「詰将棋」についてであり、チェスでどうであるかという話は参考になることはあっても、「詰将棋」の本質に関わるものではないからです。
「詰将棋」と「チェスプロブレム」は全くの別物です。これを比較して検討することはあたかもフットボールとして共通するという理由でサッカーとラグビーを比較するようなものです。
そこでは明らかに異なる文化の中で発展してきたものを同時に比較することについては慎重な判断を介入させる必要があることになります。

次に、小林さんは「詰将棋」の本質を「詰」にあるとおっしゃっております。
しかしながら、この理解にも問題があると思います。
この点、前回の私の記述には表現されていない部分がありましたので、その点を補足しながら説明します。
「詰」というものを本質に据えてしまいますと、余詰めが不完全であるとされていることを説明が付きません。
余詰めにつきましては、詰将棋博物館というサイトの古典詰将棋の系譜において、初代大橋宗桂のときにすでに余詰めはなかったとされています。
また、詰将棋パラダイス2012年12月号の詰将棋の散歩道では三代宗桂の『象戯作物』には版によっては修正が加えられて、余詰めの解消が試みられていたことを示す記事が存在します。
このように見ると、「詰将棋」という分野において「余詰め」は不完全であるという評価が当初より確立していたと見る他ありません。
この点、「詰めばいい」と考えるのはおよそ「詰将棋」という分野を逸脱した議論であるといわざるを得ないのです。
それこそ、「大道棋」ないし「実践詰将棋」とでも言うべき、別分野の詰将棋ということになりましょう(その意味で小林さんの言う詰将棋はフェアリーであり、本来的に「詰将棋」として議論されているものとはおよそ別であります)

私が詰将棋の本質に解の一意性を挙げたのは、解答する際に論理的に導くことができる必要があるというのが前回言った理由でしたが、このように余詰めの禁という部分を補足して考えますと、より一層解の一意性を本質とすることが理解できると思います。
少なくとも、余詰めを不完全とみなしている「詰将棋」という分野においては、攻め方の指し手は(所謂非限定という例外的許容事項を除いて)必ず一意に定まります。
現代詰将棋を特に注視することにいたしますと、変化同手順を「キズ」と評価しており、この点をも合わせますと、受け方の応手も一意に定まることが原則であるといえます。

なお、
>>なぜ厳密に規定できないか、というと、詰将棋のルールにはあいまいな部分があり、その部分は解消できないあいまいさ、だからです。
>>ルールがあいまいな以上、厳密には規定できない、というのはおわかりでしょうか。
この部分については、何も論証していないことに気づいていらっしゃるのでしょうか?
この部分、要約すると「定義が曖昧だから定義できない」というトートロジーに過ぎません。
曖昧さをなぜ解消できないのかという部分を一切説明することなく、単に断定しているだけであり、これは理由説明にはおよそなっていません。

そして、この部分以下で二つの仮定について検証していますが、この部分もおよそ私の意見に対して批判的とはいえません。

まず、仮定1についてですが、私は解の一意性を詰将棋の要素として取り上げていますし、また、余詰めが本質的に不完全であると看做されてきたことを考えますと、この仮定自体が失当なのです。
詰め方が一意に定まらない場合は、すなわち余詰めであって、最善云々言う前に不完全であると評価されるからです。

仮定2に至っては何を言っているのかが分かりません。
受け方の指し手選択に関わる準則としての仮定であるならば、これは受け方最善の定義をしているに過ぎず、従って解の一意性を担保する結果をもたらすのみで、破綻するという理屈は立ちません。
また、攻め方の指し手選択を前提にしているのであれば、このような仮定を置いている時点で余詰めがあることを示しており、不完全なのは明白です。従って仮定自体失当です。

そして、
>>「王手という条件の中で攻め方が任意に選択したときに、
>>唯一詰む手順において駒が余らない」ことは論理必然だといえます。

>これはさらに無理があります。
>唯一、ではない作品は多々存在します。
この部分ですが、私はトートロジーを用いて論理必然を導いていますので、前提部分を否定するならともかく、論理必然であることを否定するというのは、私の文章を読めていないと言わざるを得ません。
ここにおいて、私は前提部分である「受け方最善というルールに則り一意に定まる解答が駒の余らないように創作する」という点を解の一意性から導いていますし、また解の一意性については余詰めを不完全と、変同をキズと評価するという現代の詰将棋の評価基準から求めています。
このように理由にあたる部分をより詳細に検討していくことが論証というものであります。
まぁ、余詰め・変同を不完全・キズと評価していること自体が私の認識が間違っていなければ、という話にはなりますが…
小林さんの議論からは、なぜ詰将棋の本質が「詰」であるのかという部分を私には読み取ることができません。そうすると、現段階では理由のない空論であるようにしか見えないのです。


詰将棋のルールに関しては、TETSUさんの規約案を中心に検討することで明確化を図ることは十分可能です。
TETSUさんは駒余りの禁を玉方最善手ルールに組み込まないという主張ですので、変同駒余りも定義上はキズに分類されるのでしょう。
これに対して、私の考えですと、玉方最善手ルールは
1.不詰め応手
2.(攻め方最善を想定した場合の)最長手順応手
3.2において同手順の場合は攻め方の駒が余らない応手
というのを基本に据える形になります。
このときに定義上不明確になりうるのは、現状無駄合論議以外に存在しないと思いますが、他に何があるのでしょうか?
また、このルールだといったい何が曖昧になるというのでしょうか?
少なくとも私には尚、分からないものであります。


rere:無駄合論議の無駄 投稿者:小林看空 投稿日:2013年 5月20日(月)13時59分35秒

投稿者:桃燈 投稿日:2013年 5月20日(月)07時34分5秒
>>小林看空さん

>お返事ありがとうございます。
>過去の論議も見させていただきました。
>駒余りの禁についてですが、

>現在の詰将棋では「受け方最善というルールに則り一意に定まる解答が駒の余らないように創作する」

>という創作時における縛りであると思います。

私見によれば、そういった縛りはまったくない、と思っています。
作意を一意に定める必要はありません。
(chessでは、複数解答を要求されることは、けっこうあります。)
一般的には好ましい方向(?!)かもしれませんが、絶対ではありません。

また、何をもって受方最善とするか、も議論が必要なところです。

それはさておき


>厳密に規定できないとおっしゃいますが、このあたりが良く分かりません。

なぜ厳密に規定できないか、というと、詰将棋のルールにはあいまいな部分があり、その部分は解消できないあいまいさ、
だからです。
ルールがあいまいな以上、厳密には規定できない、というのはおわかりでしょうか。

その例をみてみます。

厳密に規定できたとして、

仮定1. 詰方最善である。

こう規定してしまう(仮に最短で詰めることを最善として)と、長く詰める詰め方はすべて不可になります。
また、受方のすべての合駒は有効になります。(単なる手数延ばしを含めて)

このルールは、現在の詰将棋では、規定できない(受け入れられない)ことになります。
つまり受方は最善でなくてもよく、相手玉を詰めることだけが目的となります。

もし、仮定1を受け入れるならば、それは、まったくちがった詰将棋となります。
(chessのdirectにあたります。chessでいろいろな詰め方が可能なので、このdirectが一般ルールです)


仮定2. 駒を余らせてはならない

こう厳密に規定してしまうと、すぐ破綻してしまうことがおわかりでしょう。

駒が余るか余らないかということは、単なる「詰」に付随する事項で、絶対ではないのです。


>創作時に駒が余らないように作るという縛りのため、

と、いうことありません。できるだけということです。


>「王手という条件の中で攻め方が任意に選択したときに、
>唯一詰む手順において駒が余らない」ことは論理必然だといえます。

これはさらに無理があります。
唯一、ではない作品は多々存在します。


>受け方最善ルールを受容している以上、駒が余りなしという現在の詰将棋の構造が厳密に定義できない
>という主張が良く分かりません。
>従って、無駄合論議が無駄という結論も分からないです。


タイトルは「無駄合論議は無駄」となっていますが、趣旨は、「細かい無駄合論議は無駄」ということです。
必ずしも無駄合論議を否定するものではなく、細部まで詰めるということになれば、それは必ず例外が
生じて破綻するだろうということです。
ルールがあいまいなので、結局、細部は個々の作品で判定せざるを得ない、ということです。

======


>ただし、私は詰将棋の本質を以下のように考えていますので、その点から見たときには別の議論はあると思っています。
>詰将棋の本質とは
>1.解の一意性
>2.芸術性
>である。

わたしは、まったくちがっています。
詰将棋の本質は「詰」だと思います。それ以上でも以下でもありません。
また、「詰将棋」は大きくみた場合、フェアリー詰将棋のほんの一部、きわめて特殊な分野だと思っています。
詰将棋にいちばん近いのは、必至でしょう。必至で駒が余る、余らないという議論は話題にもなりません。
また、どちらが勝ちか、という問題も、また。


>ここで、解の一意性ですが、これはパズルとしての要素として解答が一意に定まる必要があるだろうということです。
>少なくとも、「詰将棋を解く」という視点から考えたとき、ルールから論理的に解答が導くことができる、ということが必要条件>となります
>(これだけなら複数解を許容してもいいかもしれません)

あくまで、解の集合の代表を書くということで、
解答が一意に定まる必要がある、ということはありません。
必要ならば、複数の解を書く、ということになるでしょう。
そうでないと、詰将棋を解いたことにはならないでしょう。


>2の芸術性については要不要の議論は人によりけりでしょう。

まあ、それは本質ではない気がします。


>駒余りの禁については2の芸術性から考えるのが一番分かりやすい議論かと思いますが、
>芸術要素のために駒余りの禁を一律に規定する必要があるかというと確かに複雑な問題だと思います。
>個人的には、1の解の一意性の要請からだけであれば、受け方最善ルールから一意に解答を導くことができるのであれば、
>駒余り作品自体は論理的には否定されるものではないだろうと思います。
>つまり受け入れられるかどうかの問題なのですが、このとき注意しておくべきことは、駒余りの禁は解答する側の便宜にも適うと
>いう側面があることでしょう。
>これは、駒あまりの有無により、本手順を見つけやすくなるという側面です。
>論理的には駒余りはアリだと思いますが、この点は気にすべきかと思います。


>なお、駒あまりの禁を解禁したとしても、無駄合の議論は必要だと思います。

これは、否定しません。明確な無駄合のサンプルはあってもよいでしょう。
ただ、あまり深入りすると泥沼、不毛の論議となることになります。


>これは、本解を導く手順として無駄合の存否は尚意味があるからです。

明確化できない有効合の部分は解答に書くといいでしょう。
唯一本解は必ずしも導かれるものではないと思います。


>明らかに無駄なもののみを排除して、厳密な区分けをせず、作意尊重で良いではないのかというのが小林さんの意見かと思いますが、

>その意見に則ったとしても「明確な無駄合って何?」という議論は必ず出てくるといえるでしょう
>(今回私が議論している部分では、曖昧な部分の明確化を指向した定義の反作用として、余り異論がないと思われる部分をひっくり返す
>可能性も示唆する結果となっています)
>また、駒余りを許容して合駒に寛容になった場合に、変同を爆発的に生み出し、作品創作や解答にとってもきわめて不明確で分かりにくい
>基準になることでしょう。

代表手順が難しければ、変同手順を全部書けば、と思います。代表変同手順でもいいでしょう。
まぎれ手順も同様です。
chessではtryといって、まぎれとその逃れ手順を楽しむことも、しばしばあります。


>それこそ玄人の内輪の阿吽の呼吸を要求するようなものであり、文化として閉じた状態になると思います。個人的には好ましいと
>は思いません。

同上

>次に、作意尊重といわれても解答者が「どれが作意か分からない」以上、詰将棋を観賞するならともかく、解く上では困難な問題を
>引き起こします。

あくまで「尊重」です。

>また、作意尊重は詰将棋の本質といえる解の一意性の要請にも抵触するかと思います
>(まぁ、この詰将棋の本質自体、私が勝手に考えたもの
>なので、他の意見から見たら屁でもないかもしれませんが)

解の一意性という要請はなく、また詰将棋の本質でもないと思います。


>以上のように、私の意見ではありますが、小林さんの意見は少々閉じすぎているのではないかと思います。

閉じすぎている、ということはないと思います。開きすぎているかもしれませんが。。


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ではまた


看空


re:無駄合談義の無駄 投稿者:桃燈 投稿日:2013年 5月20日(月)07時34分5秒

>>小林看空さん

お返事ありがとうございます。
過去の論議も見させていただきました。
駒余りの禁についてですが、現在の詰将棋では「受け方最善というルールに則り一意に定まる解答が駒の余らないように創作する」という創作時における縛りであると思います。
厳密に規定できないとおっしゃいますが、このあたりが良く分かりません。
創作時に駒が余らないように作るという縛りのため、「王手という条件の中で攻め方が任意に選択したときに、唯一詰む手順において駒が余らない」ことは論理必然だといえます。
受け方最善ルールを受容している以上、駒が余りなしという現在の詰将棋の構造が厳密に定義できないという主張が良く分かりません。
従って、無駄合論議が無駄という結論も分からないです。

ただし、私は詰将棋の本質を以下のように考えていますので、その点から見たときには別の議論はあると思っています。
詰将棋の本質とは
1.解の一意性
2.芸術性
である。
ここで、解の一意性ですが、これはパズルとしての要素として解答が一意に定まる必要があるだろうということです。
少なくとも、「詰将棋を解く」という視点から考えたとき、ルールから論理的に解答が導くことができる、ということが必要条件となります(これだけなら複数解を許容してもいいかもしれません)
2の芸術性については要不要の議論は人によりけりでしょう。

駒余りの禁については2の芸術性から考えるのが一番分かりやすい議論かと思いますが、芸術要素のために駒余りの禁を一律に規定する必要があるかというと確かに複雑な問題だと思います。
個人的には、1の解の一意性の要請からだけであれば、受け方最善ルールから一意に解答を導くことができるのであれば、駒余り作品自体は論理的には否定されるものではないだろうと思います。
つまり受け入れられるかどうかの問題なのですが、このとき注意しておくべきことは、駒余りの禁は解答する側の便宜にも適うという側面があることでしょう。
これは、駒あまりの有無により、本手順を見つけやすくなるという側面です。
論理的には駒余りはアリだと思いますが、この点は気にすべきかと思います。

なお、駒あまりの禁を解禁したとしても、無駄合の議論は必要だと思います。
これは、本解を導く手順として無駄合の存否は尚意味があるからです。
明らかに無駄なもののみを排除して、厳密な区分けをせず、作意尊重で良いではないのかというのが小林さんの意見かと思いますが、その意見に則ったとしても「明確な無駄合って何?」という議論は必ず出てくるといえるでしょう(今回私が議論している部分では、曖昧な部分の明確化を指向した定義の反作用として、余り異論がないと思われる部分をひっくり返す可能性も示唆する結果となっています)
また、駒余りを許容して合駒に寛容になった場合に、変同を爆発的に生み出し、作品創作や解答にとってもきわめて不明確で分かりにくい基準になることでしょう。
それこそ玄人の内輪の阿吽の呼吸を要求するようなものであり、文化として閉じた状態になると思います。個人的には好ましいとは思いません。
次に、作意尊重といわれても解答者が「どれが作意か分からない」以上、詰将棋を観賞するならともかく、解く上では困難な問題を引き起こします。
また、作意尊重は詰将棋の本質といえる解の一意性の要請にも抵触するかと思います(まぁ、この詰将棋の本質自体、私が勝手に考えたものなので、他の意見から見たら屁でもないかもしれませんが)

以上のように、私の意見ではありますが、小林さんの意見は少々閉じすぎているのではないかと思います。

なお、ツイッターの議論についてはあの後も続いていまして、かなり長くなってしまったので、togetterにまとめています。
随時更新しながらやっています。以下のアドレスとなります。
http://togetter.com/li/504427

ここでの議論では、無駄合の定義としては
1.手数基準論
2.形式的新変化論
3.実質的新変化論
4.類型化論
あたりが考えられると思います。
3と4は結局細かい議論が残るとは思いますが、さてどうなんでしょうか?


無駄合論議の無駄 投稿者:小林看空 投稿日:2013年 5月18日(土)11時08分2秒

こんにちは、看空です。

詰将棋は、詰方は最善ではなく、(受方最善はともかく)
またできるだけ駒を余らないように、という
厳密には規定できない規定の上に成り立っていますので、
わたしは作意尊重の立場でして、
細かい無駄合論議は無駄(規定できない)だと思います。

また駒があまってもかまわない(すでに大道棋はみとめられていますね)
詰将棋も考えられますが、それはまた。

詳しい論議は、参考までに↓

http://77432090.at.webry.info/201212/article_19.html


では


将棋世界6月号サロン 投稿者:EOG 投稿日:2013年 5月16日(木)19時38分9秒

<2>那須作、将棋世界1952年1月号峰哲雄作の5手目からと同一手順。
<5>本田作、本作の方が優るが3手目4手目がカットされた作として近代将棋1980年1月号平松準一作がある。
<6>藤沢作、近代将棋1985年4月号植田尚宏作の7手目からとほぼ同一手順。


Re:Re: 無駄合談義について 投稿者:桃燈 投稿日:2013年 5月11日(土)22時51分38秒

前回予告したツイッターでの議論をまとめます。
正直、ひとつの話題、しかも長文で掲示板を占領している気がするので、そろそろ大丈夫かなぁと心配し始めていますが、多くの人の目に触れる場としてはこの場所が最適な気がしていますので、長文になりますが失礼します。

なお、前回の補足ですが、合駒以降の手を読まなくてはならないという点については一般的な(合駒とは関係なく全ての変化における)受け方最善ルールの適用の場面でも同様です。
そのため、同じ作業が必要になるにもかかわらず、無駄合判定のときだけなぜ別のルールを適用するのか、という価値判断が存在し得ます。
一方で、無駄合かどうかの判定をもっと楽にすべきであるという価値判断は、(その判定基準が分かりやすい場合には)変化読みを減らすために解答する側に優しいルールといえるので、十分にありえる価値判断だと思います。

補足はそれくらいにして、まずはツイッターのコピペをします。

桃燈 ?@telnarn 5月6日

緩募:無駄合についての意見 条件:当該合駒により手数が2手伸び、合駒が駒余りになる。手順は合駒しなかった場合と同じ手順に加えてもうひとつ同手数の変化が新たに発生する(どちらも駒余り) 問題:当該合駒は無駄合か有効合か(別手順の2手変長変化を生む以上有効合と見るべきか否か)

無駄合談義について意見を緩募したけど誰も反応してくれなかったのでおもちゃ箱掲示板に自論を展開した。今度こそ反応はあるかどうか…

ガシ ?@eesoonexopa 5月7日

@telnarn 突然失礼します。おもちゃ箱掲示板の書き込み読みました。僕個人としては、詰将棋のルールが複雑なのは(無駄合のような)例外事項があるせいだと思うのですが、どうでしょうか。
@telnarn この事例については、無駄合@wikiというサイトの広義無駄合という項目がなんとなく近いような気がします。
@telnarn 僕としては、おそらく新しくできた変化が本手順扱いになるんじゃないかと思っています。

桃燈 ?@telnarn 5月8日

@eesoonexopa お返事ありがとうございます。詰将棋のルールに例外事項があるから複雑という考えですか。私の立論は「受け方最善」に原則吸収できるというものですので、ルールそのものが複雑であるという考え方とは詰将棋のルールの捉え方が異なっていると考えられます。
@eesoonexopa おそらく、駒余りなしルール、無駄合禁、変化別詰めの許容etc...といった要素を別々のルールとして認識されていると思うのですが、私はこれら詰将棋原則は本質的には受け方最善ルールから演繹される結果として認識しています。その上で最低限の修正を加える試みです。
@eesoonexopa この点は、無駄合@wikiと異なる発想ですね。wikiでは無駄合を類型論として定義することで精緻化を試みています。しかし類型論はそれこそ複雑化を招くように思いますし、wikiの定義分けが必ずしも成功してるとも思いません。重複領域や不要な定義が含まれてます
@eesoonexopa 私の手元にある懸案の図はwikiでいうところの「狭義で有効、広義で無駄」であると同時に「最広義無駄合」にもあたる可能性があります。類型論の発想からすると有効と判定される可能性は十分あると思います。新たな変化を本手順扱いと考える人がやはり多数派ですかねぇ…

ガシ ?@eesoonexopa 5月8日

@telnarn なんとなくなんですが、「受方最善」の一言でくくっているものが、実際には「受方最善A(原則)」「受方最善B(例外)」「受方最善C(例外)」etc.に分裂しているような気がします。(かなーり個人的な見解ですが)

桃燈 ?@telnarn 5月8日

@eesoonexopa その感覚は分かります。ですが、無駄合を別個に定義する場合、独立した無駄合定義と受方最善ルールとで再度調整解釈が必要になります。一方で受方最善ルールとして構成する場合には初めからその整合性を問題にする必要がないという点に違いがあります。
@eesoonexopa もちろん、無駄合定義を受方最善ルールに適合的に組めば、両者の違いは理論形式の違いに過ぎませんが、wikiを含め多くの無駄合議論では手順が変化するかを考慮要素に組み込んでいると思います。これは基本的に手数が基準となる受方最善ルールとは別物だと言えます。
@eesoonexopa 私の立論は受方最善ルールをベースに据えるため、手順の変化を捕捉できません。つまり、合駒をすると手数は2手伸び、且つ当該合駒が持ち駒として1度も使用されず余る場合で、手順がおよそ完全に変化する時でさえ無駄合になります。やはり感覚として受入れ難いですかね?

ガシ ?@eesoonexopa 5月8日

@telnarn (僕自身は手数のみを基準にすべきと考えていた時期もあったのですが)やっぱり違和感を覚える人のほうが多いと思います。 そういえば、合駒関係なく2手長駒余りになる変長はどう考えます?

桃燈 ?@telnarn 5月8日

@eesoonexopa 違和感はありますよねぇ(実際私も直感的には違和感を持ってます。ただ、この部分を別に定義付けをすると、返って限界事例において混乱を生む気がします)。綿貫規約の2手変長でしょうか?あれは規約中で「次善」と言ってしまってるので、現代詰将棋では無用かと思います。

ガシ ?@eesoonexopa 5月8日

@telnarn 変長については、無駄合同様2手長駒余りになるのでどうかなーというのと、 例の作品について23手順は変長なので21手で完全という考え方もあるのを思い出しましたので。
@telnarn (非常に今更で申し訳ないのですが)最善とは、①最長&②駒余りなしであって、この定義のみでやっていけるのではないか という認識で合ってます?

桃燈 ?@telnarn 5月9日

@eesoonexopa 基本的にそのように考えてます。ただしその定義だけだと無駄合が排除できません。しかし、最善というルールの実質に変更を加えない範囲による修正によって無駄合問題に対応できるのでは、という立論です。



個人的に、無駄合かどうかの判定をもっと楽にすべきであるという価値判断の側で考えると、ひょっとしたら「新たに変化が増えるかどうか」をメルクマールにするというのもひとつの手法かなぁ、とも思っています。
ただ、この手法で判定した場合、

無駄合→全ての手を読みきって初めて無駄だと分かる
有効合→新変化が見つかった時点で有効だと分かる。ただし有効なので詰将棋としては結局全変化を読む必要がある

と、結局解答する側の労力という点では何の違いもないことに気が付きます。

無駄合の禁というルールは「持ち駒を使い切るように作品を創作する」というルールがある以上、創作時の救済ルールとして必然付随するルールであるといえます。
そう考えたとき、解答する側の便宜は同じなので、「新変化枠組み」で考えるのは創作する場合の敷居を上げることになると思いますので、ルールとしては厳しい気がしています。
創作への参入の敷居もそうですが、「新変化枠組み」は受け方最善とは別個のルールになるので、ルールとしての複雑さも個人的には気になります。


他にも、いろいろとネット上で同様の議論を探してみました。
無駄合@wiki、ちょっとやってみるのほかに、冬眠蛙さんの『冬眠蛙の冬眠日記』、名無し名人さんの『名無し名人の題名のないブログ』、鈴川優希さんの『my cube』での議論を見つけました。
特に冬眠蛙さんのブログの「無駄合いアンケート」は興味深いもので、アンケート回答者を見る限りでは、私のような「受け方最善ルールの修正原理」で対応すべしという意見は少数派かもしれません。
しかし、このアンケートの回答の中には「変化が増えない」にもかかわらず「有効」と考える場合が見受けられます。
これを、初心者や中級者にどう説明したら良いのか私には皆目見当が付きません。
定義づけとしては。「手数ベース」の定義、「変化ベース」の定義、「類型論」型の定義、が私の議論では登場してますが、どれがいいのでしょうね?


Re:Re: 無駄合談義について 投稿者:桃燈 投稿日:2013年 5月10日(金)01時47分48秒

>>通りすがりさん

ご返事ありがとうございます。
あなたの意見を見て、私自身見落としがあったことに気づきました。
無駄合の議論について、私自身が「打った直後に取られる合駒」を当然の前提として考えていました。しかし、確かに「打った直後以外のタイミングで取られる合駒」をも視野に入る可能性があると言わなければなりませんね。
この点については確かに見落としていましたので、考察を後述しようと思います。

ただ、「言い方を変えるなら、『高度な演繹』が必要であるなら、その時点で有効合ではないか、というイメージを持つ人を説得する論理ではないよね、とは思ってしまいました。」という点については私のした議論とはずれています。
私は復元型無駄合の例題について、
1.(大前提)ルールは分かりやすくあるべきである
2.(小前提)復元型無駄合の例外的ルールはややこしい
3.(結論)復元型無駄合の例外的ルールは廃止すべきである(A案)
という理論構成に対して、小前提たる「例外的ルール」はそもそも存在していない、と立論しているのです。
つまり、ルールはシンプルであり、ルールの適用の場面が複雑になってるに過ぎないという私の立論自体は、「無駄合の禁というルールが複雑」という主張に対するものであって、「読まなきゃならない以上有効ではないか」という主張には対応していないのです。

深く読まなければいけないのなら有効合では、という疑問については二つの考え方があると思います。
1つはルールそのものはシンプルにした上で適用段階で深く読まなければならない分には仕方ないという考え方。
これは私の考え方ですね。
もう1つがルール自体が多少複雑になってもいいから、無駄合の判断それ自体を楽にしようという考え方。
こちらが「高度な演繹」が必要であるなら、その時点で有効合ではないかと考える人たちの意見かと思います。

このどちらがいいかというのは正直価値判断の部分が大いにあると思いますが、この点についても一応私は言及しています。

それは
「私は、合駒が有効か無駄かを判断するときには必ず、合駒をした後の手順を読まなければならないと思っています。例えば、誰もが無駄合と認める『合駒を取った後、作意手順と全く同一の手順で詰み、合駒がそのまま持ち駒として残る』ような場合であったとしても、合駒の先の手順を読んだ上で判定しているのは間違いありません。
そうであるとすると、合駒の有効・無駄を判定する際には必ず合駒の先を読んだ上で戻ってきて判定するという構造をとります。」
という部分です。

無駄合についてはできるだけ読まないで判定できるようにルールを作るべきとしたとしても、どのように定義づけしたらそれが実現できるのかという点で私は疑問に思っています。
無駄合については類型論的にかなり詳細に議論しているものとして無駄合@wikiがありますが、その中において誰もが無駄合と認められるであろう狭義無駄合でさえ、それが狭義無駄合であると判定するためには詰上がりまでの手順及び変化を全て調べなければなりません。
もちろん、一般的には狭義無駄合は一目で分かるものですが、定義として理論化を図る際には、最終的に合駒以降の手順を読んだ上で初めて無駄か有効かを判定できるという構造にする以外に私には思いつきません。
そうすると、個人的には合駒の先を読んだ上で高度な演繹が必要なら有効ではないのかという意見については、反対にどういう定義なら分かりやすくなるのかなぁと思っています。
例えば無駄合@wikiのように丁寧な類型論をするようでは、合駒が出てきたら先を読んだ上で、その合駒がどの類型にあたるかを調べ、それが無駄合とされているかどうかを確認してということになります。これではルールを複雑にした上で結局無駄合判定それ自体も煩雑です。
もちろん、無駄合@wikiでなされているような類型論でやる必要は必ずしもないわけですが、どういう基準を立てるのかというのはとても難しい気がしています。


次に田島作についてですが、これについては私は見たことがないのでちょっと調べ切れませんでした。
これはsogainさんのブログの「ちょっとやってみる」における「柿木将棋のエラー?(後)」で紹介されていた、再帰型とでも言うべき類型でしょうか?

私自身が合駒をすぐにとらない場合を見落として想定していなかったので、これについては私の立論から見ても2つの考えがあるかと思います。
1つは私の立論そのままに適用して判定する方法です。この方法でちょっとやってみるで紹介されていた再帰型の図を検討すると、
1.まず合駒以降の手順を読みます
 このとき、15飛、45歩、35飛の次の応手の最長手順となるのは明らかに46玉です。従ってこの場合の合駒以降における最善は27玉ではなく46玉になります。
2.手順を読んだ後に受け方最善ルールに則って判定します
 46玉が合駒があった際の最善であったので、これは「反復機構の手数分だけ手数が伸びて合駒が残る」という条件に該当します。従って再帰型合駒は無駄合と判断されます。

こう見るとおそらく、私の立論でも田島作というは無駄合の不完全作という判断になるのではないでしょうか。(ただし、ちょっとやってみるで紹介されてる図についてはsogainさん同様に1手詰め完全作と判断することになります。田島作については見たことないので分からないというのが正しいですね…)
なお、ブログでは安江論考というものが参考に引用されていましたが、ここで引用されている文章は、明らかに当該合駒が有効であることを前提にしていますので、なぜそれが有効なのかの説明には不適だと思います。
安江論考を見る限りでは何らかの方法により合駒を有効としている点を説明する必要がある上に、「無駄応手の除外」という追加ルールを規定しているので、ルールないしルール適用の複雑化を忌避する論説から見たときには全くのナンセンスと言えると思います。

しかし、私の立論をそのまま適用する方法だと通りすがりさんの提示した
 詰方:35桂、43龍 玉方:12玉
という図に出てくる合駒も無駄合になり、この図が3手詰め完全作になることになります。これは私の感覚からも明らかに変なので、個人的にはもう1つの解釈が素直だと思います。

その考え方というのは、直後に取られない合駒はそもそも有効であり、無駄合かどうかの議論の枠組みとは関係ない、という考え方です。

直後に取られることのない合駒で、その合駒自身が無駄であると考えられることのありうる合駒の具体例が私自身思いつきません。
もともと無駄合の禁は創作側への救済ルールといえるもので、直後にとられない場合は有効であるとしたとして、創作時の難易度を劇的に上げてしまうような事態にはならないかと思います。
この考え方に立って再帰型を検討しますと、合駒自身は有効であり、46玉か27玉かの場面では通常の受け方最善ルールを適用しますので、46玉が最善となります。
すなわちこの場合は、合駒自身は有効ですが、作品としては不完全になるパターンがほとんどでしょう。

といったところで通りすがりさんの疑問に対する私の立論の補足としては十分でしょうか?
相当長くなってしまいましたね……
私のツイッターにもある方から意見がありましたので、そこでの議論も後日時間を作ってこちらにコピペさせていただこうと思います。
長文失礼しました。他にも意見がありましたら是非よろしくお願いします。


Re: 無駄合談義について 投稿者:通りすがり 投稿日:2013年 5月 8日(水)10時06分41秒

個人的な疑念の例として、一件だけ有名な図を。

 詰方:35桂、43龍 玉方:12玉

――という作品は、この案だと、無駄合と読めませんか?


Re: 無駄合談義について 投稿者:通りすがり 投稿日:2013年 5月 8日(水)09時55分44秒

図面が全く付されておらず、十分な理解が全くできていないのですが、直観的に違和感を感じた点が一箇所あったので、その点だけ指摘しておきたく。

個人的には、「無駄合」は、その次の着手で詰め方に取られるもの、というイメージがあります。まず、直後に取られたものとして、どれだけの効果が生まれるのか、によって無駄か有効かが決まる――というものです。当然、この点にも異論があって、結論は出ていない(だから、田島さんの問題作なども生まれている)ので、あくまで感覚的なものですが。
恐らく、桃橙氏は違う(田島氏作は完全作だ、というスタンスに見受けられたので)のでしょうが、その点に何も触れずに、「このルールがシンプル」と言われても、私は素直に納得できません。
言い方を変えるなら、「高度な演繹」が必要であるなら、その時点で有効合ではないか、というイメージを持つ人を説得する論理ではないよね、とは思ってしまいました。


作品についての問題提起に触れていませんが、ご了解ください。


無駄合談義について 投稿者:桃燈 投稿日:2013年 5月 6日(月)16時32分46秒

詰パラ5月号において復元型無駄合についての話が出ており、ちょうどアマレン杯握り詰を作っていたら無駄合(?)なものが出来そうなので投稿します。

おもちゃ箱の研究室での復元型無駄合のページでは、「つまり、こんなにややこしいルールで、詰将棋を普及できるの、ということ。」という問題提起として議論が出てきていました。
個人的には無駄合の定義も詰将棋の基本ルールからシンプルに導き出せたらいいのではないかと思っています。
つまり、TETSUさんが提唱する「受け方最善、攻め方任意による一意解」とでも言うべきルールからスタートすべきだと思います。
ここで問題となるのは受け方の「最善」を判定するためのルールで、原則として受け方最長=最善という形になっています。
この受け方最長を考えるにあたっては、「受け方は攻め方の最善の攻めを想定して選択する」ことを基本とすることで「変化別詰め」へ対応することができるようになります。
また、同手数の場合「攻め方の持ち駒が余る」方がベターという評価を確立することで「変同駒余り」に対応できます。
このように、詰将棋でしばしば問題視される定義については、この「受け方最善」というルールに吸収されて一義的に定まると考えています。
そうすると、無駄合についても同様に考えたらいいのではないかと思います。

このとき、無駄合は基本的に手数を伸ばすため、受け方最善の原則論である受け方最長ルールが適用できません。
原則ルールを適用すると無駄合=最善となってしまうのでこの辺は当然の帰結であるといえます。
では、合駒が関係するときの、受け方最善を判定する要素は何になるのか、が問題になります。
私は、合駒が有効か無駄かを判断するときには必ず、合駒をした後の手順を読まなければならないと思っています。例えば、誰もが無駄合と認める「合駒を取った後、作意手順と全く同一の手順で詰み、合駒がそのまま持ち駒として残る」ような場合であったとしても、合駒の先の手順を読んだ上で判定しているのは間違いありません。
そうであるとすると、合駒の有効・無駄を判定する際には必ず合駒の先を読んだ上で戻ってきて判定するという構造をとります。

以上から、「合駒の有効・無駄判定には、当該合駒の先を読んだ結果、反復機構手数以上に手が伸びる、若しくは同手数で駒が余らない場合に有効と認める」と考えるといいのではないかと思います(反復機構がない場合は4手以上伸びる、あるいは手は伸びない(若しくは2手伸びる)が駒が余らない場合を有効とする)。

この定義においては、4手以上伸びる場合は通常の受け方最長ルールの適用の結果でありますし、駒が余らない場合も受け方最善におけるルールの適用の結果であって、新しい定義を導入しているわけではありません。
手が伸びない、あるいは伸びても2手でしかも駒余りになる場合の合駒を(特に2手伸びる場合は通常のルールからは排除できないので)特別に排除しているだけです。

個人的にはルールとしては取り立てて新しい定義を導入した解釈ではないですし、シンプルだと思います。
このとき、復元型無駄合については、TETSUさんの作った詰パラにも載っている作品については27手の作意になると思います。
この点、ルールがややこしいという意見があるようですが、個人的にはシンプルなルールから演繹する際にややこしい「結果」が生まれているだけだと思います。
ルール自体はシンプルに洗練されている以上、ここを弄ること自体「ルールの複雑化」を招くと思いますので、私は上記ルールのままで良いと思います。
そして、そうしたほうが「ルールを理解」する上での障害は減るでしょう。
復元型無駄合は、ルールから一義的に解答を導くことができます。ただ、その手続きが詰将棋のルールに則った深い読みを要求する、高度な演繹になるために「結果」が難解になるのであって、こういう領域は「玄人の遊び場」に過ぎないと思います。

以上から、復元型無駄合に関しての例題は27手の作意がそのまま成立して問題ないと思っています。

こういう考えはどうでしょうか?


ちなみに、現在作ってる握り詰に出てきた無駄合(?)な問題について他の人の意見も聞いてみたいので、問題提起します。

条件:当該合駒により手数が2手伸び、合駒が駒余りになる。手順は合駒しなかった場合と同じ手順に加えてもうひとつ同手数の変化が新たに発生する(どちらも駒余り)

作意21手の作品ですが、4手目で合駒をすると23手駒余りになります。
ただし、合駒することによって変化がひとつ増えるのです。
つまり本来の作意手順と同一の変化とは別の変化で23手駒余りの手順が発生するということです(本来の作意手順の変化も23手駒余りになり、合駒をした場合の受け方最善はこの2通り)
なお、新しく発生する変化は詰上がりから数えておよそ10手前に分岐します。

問題:当該合駒は無駄合か有効合か(別手順の2手変長変化を生む以上有効合と見るべきか否か)

私個人が考える有効合の判定要素で考えると、新しい変化筋が発生したとしても2手伸びて合駒した駒が余るだけなので、無駄合だと判定され、21手の完全作(余詰めがなければ)となります。
が、詰上がりから10手も前から分岐するおよそ新しい手順が生まれるとなると、有効合ではないかと考える人もいそうだと思っています。
他の方はどう考えるんでしょうか?


2013年4月



re: リンクありがとうございます。 投稿者:TETSU 投稿日:2013年 4月30日(火)14時27分55秒

リンクしていただき、ありがとうございます。
詰将棋関連の記事は、これからも紹介させていただきたいので、
よろしくお願いいたします。


リンクありがとうございます。 投稿者:井上 投稿日:2013年 4月30日(火)13時49分33秒

 貴ホームページにリンクしていただき、また、詰将棋メモで紹介していただきありがとうございます。
 最近、なぜか閲覧数が少し増えているとは感じていたのですが、自分はあまり本格的な詰将棋をやらないため、気が付くのが遅くなりました。
 こちらからもリンクを張らせていただきました。
 今後ともよろしくお願いいたします。

http://blog.livedoor.jp/taka11281/


馬屋原剛さんの代理投稿 投稿者:TETSU 投稿日:2013年 4月28日(日)16時36分39秒 編集済

馬屋原剛さんからメールで依頼があったので、代理で投稿します。

================================================================
応手数記録作を作成したのでご登録願います。
後手の持駒:飛 角 金 銀 桂 香 歩
9 8 7 6 5 4 3 2 1
+---------------------------+
| ・v香 ・ 馬 ・ ・ ・ ・ ・|一
| ・ ・ ・ ・ ・ ・ 歩 ・ 玉|二
| ・ 歩 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・|三
|v香 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・v桂|四
| ・ ・vと 金 歩v桂v桂 金v銀|五
| 龍vとvとvとvとvとv銀v香vと|六
|v金 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・v玉|七
| ・vとvとvとvとvとvとv銀 ・|八
| ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 歩|九
+---------------------------+
先手の持駒:なし
97龍、27と、18金、16玉、15金、同玉、16銀、24玉、
94龍、74歩、25香、33玉、23香成、42玉、92龍、82桂、
同龍、同香、34桂、41玉、31歩成、同玉、22桂成、42玉、
32成香、53玉、54金、
まで27手で詰
2手目の応手数
2~8筋(7箇所)×合駒(7種)=49
46と~86と(5枚)×3箇所=15
16と、38と~88と(7枚)×1箇所=7
35桂、45桂(2枚)×2箇所×成生(2通り)=8
26香、94香(2枚)×1箇所×成生(2通り)=4
28銀×1箇所×成生(2通り)=2
36銀×3箇所×成生(2通り)=6
合計91通り
と金は、16手目の歩合を防ぐための配置
26香がないと、5手目35金以下早詰
よろしくお願いします。
P.S
蟻銀は受方馬の連続移動の記録作でもありますね。
================================================================

61通りから一挙に91通りまでアップ。
近いうちに登録させていただきます。
蟻銀はたしかに受方馬の連続移動回数の記録も更新していますね。
これも近いうちに追加したいと思います。
ご指摘ありがとうございました。


図式名 投稿者:渡辺 投稿日:2013年 4月24日(水)21時38分18秒

「車図式」って面白いですね。「馬図式」も面白いですが、本当に「馬」しか出てこないような気もします。


類似作の指摘について 投稿者:佐原 投稿日:2013年 4月18日(木)14時34分51秒

最近類似作の指摘が多くありますが, 類似作についての考え方に関して, 詰パラ1966.8-9月号に岡田敏さんが興味深い記事を発表していますので,一度参考にされると良いでしょう.


将棋世界5月号 投稿者:EOG 投稿日:2013年 4月16日(火)23時03分54秒

詰将棋サロン三浦司作は、近代将棋2007年11月号妻木貴雄作の3手目からと同一。


詰将棋探検隊 投稿者:角 建逸 投稿日:2013年 4月 9日(火)02時18分32秒

発売中の「週刊将棋」4月10日号に小さく予告が載っているのですが、
4月17日号から「詰将棋探検隊」の連載(隔週)を始めます。

単行本とはダブらない作品を紹介していきますが、週将の読者層を
考えて、若干短めの作品から慣らし運転をしていくつもりです。
連載を続けていくには、皆様方の応援がぜひとも必要ですので、
なにとぞよろしくご支援の程、お願い申し上げる次第です。


左馬さんへ 投稿者:TETSU 投稿日:2013年 4月 8日(月)17時19分50秒

おもちゃ箱管理人のTETSUです。
左馬さんの3件の書き込みを不適切と判断し削除させていただきました。


2013年3月



図式名について 投稿者:不透明人間 投稿日:2013年 3月19日(火)22時15分27秒

盤面初形で使う駒の種類による形容で「車図式」「馬図式」というのは
すでに命名がなされているのでしょうか? サンプルを掲げます




re: 記録に挑戦!記録更新作? 投稿者:TETSU 投稿日:2013年 3月17日(日)19時15分35秒

hiroさん、ご教示ありがとうございます。
妖精2は手順未発表なので、発表後(作品集?)に登録の予定です。
芹田作、馬屋原作は順次登録を予定しています。
風の谷は解説で記録に触れてなかったので見逃していました。
これも順次登録したいと思います。


記録に挑戦!記録更新作? 投稿者:hiro 投稿日:2013年 3月17日(日)14時46分1秒

こんにちは。
記録に挑戦!のページを楽しく拝見していたのですが、4つの項目で記録が更新されているかもしれない
と思ったので書き込みさせて頂きます。

1-40 盤面39枚、詰上り3枚(煙詰)
239手→247手 添川公司氏作「妖精2」改良図 詰将棋パラダイス2012年8月号

1-84 全応手馬
17手→19手 芹田修氏作 詰将棋パラダイス2012年11月号

4-4 角合回数
42回→44回 添川公司氏作「風の谷」 詰将棋パラダイス2012年11月号

4-14 角不成回数
22回→28回 馬屋原剛氏作 詰将棋パラダイス2012年11月号


超超難解? 投稿者:通行人B 投稿日:2013年 3月16日(土)09時00分11秒

関西将棋会館のHP内の5手詰め簡単詰め将棋内で面白い5手詰め発見!
VOL33は激しく誤りが有るのですがその中でも最たるのがNo.399
いずれは解決されるのでしょうが、、、

http://www.shogi.or.jp/kansai/tsumeshogi/5te/5te_34_java.html


RE: 「かぐや姫」は煙っていない? 投稿者:かぐや姫弁護人 投稿日:2013年 3月15日(金)06時17分4秒

検討不足だったようです。

1、2五香以下
(24玉で詰みません。)
ご指摘通りです。検討中、1七金配置を詰方駒と勘違いしてました。

2、1三角以下
(4手以上変長駒余りは不完全)
その認識はありませんでした。
綿貫規約を見ており、変長駒余りは准完全作(選者裁量出題可)と理解していました。


RE: 「かぐや姫」は煙っていない? 投稿者:TETSU 投稿日:2013年 3月15日(金)01時05分15秒

駒余りの変化で認められるのは作意+2手までで、4手以上の変長駒余りは
不完全になります。
(2手変長駒余りも大きなキズで、現在ではまず採用されません)
かぐや姫は作意97手なので、変化は、受け方が最長に逃げたとき、
持駒が余らない場合97手以下、持駒が余る場合は99手以下で
なければなりません。
80手目22玉と逃げると、以下どのように詰めても、受け方が最長に
応じると99手駒余らずまたは101手駒余り以上の手数になってしまう
ので、本作は残念ながら不完全作だと思われます。
かぐや姫弁護人さんが示された手順は、25香の(イ)で32角成のとき
24玉で詰みません。また13角は最長に逃げると101手以上になります。

ゆめまぼろし百番は、最初は私も含む検討グループでコンピュータ検討を
していました。そのときはかぐや姫も別な図で余詰指摘されていたと記憶
しています。ゆめまぼろし百番に収録された図は、柿木将棋でも脊尾詰でも
22玉の順を解答するので、誰もコンピュータ検討してない可能性が高い
ですね。修正に何年間もかかっているので、発行するころは検討体制が
なくなってしまっていたのではないでしょうか。
すばらしい手順の都煙なので、なんとか修正してほしいものです。


RE: 「かぐや姫」は煙っていない? 投稿者:かぐや姫弁護人 投稿日:2013年 3月14日(木)22時53分13秒

EOGさんが心配されている「かぐや姫」の変化ですが
79手め1四歩に対し、2二玉と逃げた場合、

①の2五香だと、以下の手順が玉方最善で早詰めです。
▲2五香 △3一玉 (イ) ▲3二銀 △4二玉 ▲4三角成 △5一玉
▲7三角 △6二歩 ▲5三香
まで89手詰

(イ)△3一玉でご指摘の2三歩合いとする変化は同香成以下駒余りです。
△2三歩 ▲同香成 △同 玉 ▲3二角打 △2二玉 ▲2一角成
△2三玉 ▲3二角成 △3四玉 ▲4五と寄 △2四玉 ▲2五香
△同 玉 ▲2六金 △2四玉 ▲3五と上
まで97手詰(駒余り)

また②の1三角の場合でも玉方の最善手順は以下で作意手順より短くなります。
▲1三角 △3三玉 ▲4四と △4二玉 ▲5三銀 △4一玉(ロ)
▲7四角 △3二玉 ▲3四香 △2三玉 ▲2五香 △1四玉
▲2四角成 まで93手詰

△4一玉のところ△5一玉ですと確かに100手を越えますが駒
を余らせる詰め手順が存在します。 一例をあげますと

(ロ)△5一玉 ▲2四角成 △6一玉 ▲8三角成 △7二金 ▲6三香
△7一玉 ▲6二香成 △同 金 ▲同銀成 △同 玉 ▲6三金
△同 玉 ▲6五香 △5二玉 ▲7四馬 △6三歩 ▲同 馬
△6一玉 ▲6二馬まで105手詰(駒余り)
これ以外の変化もすべて93手以下か駒を余らせて詰ます順があります。

とすればいずれにせよ作意97手詰めが本詰めで「かぐや姫」は
煙詰めとして成立していると思っています。


re: 正解者ゼロ作品 投稿者:TETSU 投稿日:2013年 3月12日(火)20時33分12秒

ISOさん、ご教示ありがとうございます。
余詰解は正解ですし、不詰は全員正解ですから、この3作は正解者ゼロには
該当しないと考えています。
余詰作で作意解余詰解ともいない場合は微妙ですが、解答者への挑戦で
作者の完勝ということで掲載したいので、結果発表時に不完全と発表されて
いる作品は載せないことにしたいと思います。


正解者ゼロ作品 投稿者:ISO 投稿日:2013年 3月12日(火)09時43分24秒 編集済

以前(2009年1月5日)詰将棋メモ欄に正解者ゼロの作品リストが載りました。
http://toybox.tea-nifty.com/memo/2009/01/index.html

古い話で恐縮ですが、最近になって「追加があったらお願い」を見たので一報します。
候補は次の3作です。リストにある1~4,14番と同じように3作とも不完全作ですが、いずれも作者自認の難解作なので、検討の余地ありかと思います。
駒場和男作 詰パラ 1967年7月
 このときが修正再出題で、余詰を理由に結果発表がなかったが、正解答は余詰指摘の1人だけだったという。正解者ゼロリストに入るか どうか微妙なところで、さらにこの後近代将棋に修正再々出題されたとき正解者が3人いたことは否定材料になるか。
七條兼三作 詰パラ 1980年5月
 余詰作で、不詰解3、まったくの誤解5、作意に迫りながら偽作意に落ちた解答9(早詰解2と誤解7)。編集部判断で9人が正解者扱  い。
七條兼三作 詰パラ 1984年12月
不詰作で、無解9、誤解2。誤解のうちの1人は「不詰?」としていたが、結果発表での「正解者」は当然のごとくゼロ。

どういう場合に正解者ゼロとみるかは一概にいえなくて、解答期間・解答時間・発表メディアの問題も含めて、主観的に判断するしかないようです。


「呪われた夜」-添川さんの超長編と煙の中で 投稿者:ISO 投稿日:2013年 3月10日(日)12時02分57秒

添川公司さんの超長編作(200手以上)は全部で12作。発表時余詰は「呪われた夜」だけです。
ついでに添川さん作の煙詰は、全駒が合作2作を含めて40作、小駒6作、貧乏と歩なしと飛金なしが各1作。全駒の中には超長編でもカウントした1作があります。
煙の発表時余詰は6作で、これだけでも驚異的な完全率ですが、この余詰作はすべて修正図が発表されています。
超長編と煙、延べ60作の中で、ただ1作「呪われた夜」だけが残された未修正作でした。白海棋人さんはいい所を突いていたのです。
添川さんにはぜひ修正して大記録にさらに花を添えてほしいものです。


re:EOGさん指摘 投稿者:EOG 投稿日:2013年 3月 7日(木)20時00分32秒

幻想咲花さんご指摘のとおりです。
ありがとうございました。


re:re:「呪われた夜」 投稿者:白海棋人 投稿日:2013年 3月 7日(木)19時41分7秒

ご指摘ありがとうございました。
作意より200手以上前で早詰め分岐するようではさすがに
残念などとは言ってられません。納得しました。


re:「呪われた夜」 投稿者:ISO 投稿日:2013年 3月 6日(水)20時14分1秒 編集済

詰パラ2000年8月号に載った脊尾詰による早詰は183手目で作意と分岐する順でした。
白海棋人さんの指摘は作意の344手目を問題としていて早詰指摘とは無関係でしょう。
385手順は単なる変化手順です。


re: トップの推理将棋64回リンク 投稿者:TETSU 投稿日:2013年 3月 6日(水)12時20分25秒

どうもそそっかしくてすみません。修正しました。
ご指摘ありがとうございました。


トップの推理将棋64回リンク 投稿者:渡辺 投稿日:2013年 3月 6日(水)07時54分27秒
飛び先が63回のようです。


EOGさん指摘 投稿者:幻想咲花 投稿日:2013年 3月 3日(日)21時03分53秒

29番と48番の項の図が微妙に違うようです。
29番は持駒香脱落
48番は持駒角歩→角金
でしょうか。


詰パラ2012年12月号短コン 投稿者:EOG 投稿日:2013年 3月 2日(土)23時02分33秒

失礼しました。
⑯以降は、29番、37番、42番、48番、50番です。


re: 詰パラ2012年12月号短コン 投稿者:TETSU 投稿日:2013年 3月 2日(土)22時15分44秒

問題番号が文字化けしているようです。
マル付き数字などの機種依存文字は見る人によって正しく表示されないことが
あるので、使わない方が無難です。


詰パラ2012年12月号短コン 投稿者:EOG 投稿日:2013年 3月 2日(土)16時03分23秒

類似作の指摘を幾つかしましたがほとんど取り上げられなかったので記しておきます。
⑨これはこれで一局だが、手順の組み立ては近将1969年5月内藤国雄作、近将1972年2月島崎重良作と同じ。内藤作は33銀36角/12玉13歩14飛42桂/飛
⑯パラ2003年11月日野貴久男作と同一手順。日野作は14と、26桂に代えて玉方15歩、35歩の配置。
?パラ2002年1月同氏作の改良図。13角21と53と/23と33玉41歩44飛/飛。手順は同じ。
?将棋ジャ-ナル1988年2月米田徹作と同一手順。米田作は14角の配置。
?将棋雑爼24番の3手目から同一手順。12と25桂/11香14歩23玉24歩31金32角41金44歩45銀/角金金。33金~23金で12とを消去する狙い。但し同角が13手かかる。
?手順の組み立てはパラ1960年6月北川邦男作と同じ。18銀25龍38歩/37歩39玉49銀56桂/角歩
?既発表作の頭4手を削ると別の作品になるのでしょうか。しかもシード権まで獲得とは。


2013年2月



「かぐや姫」は煙っていない? 投稿者:EOG 投稿日:2013年 2月27日(水)23時04分19秒

 「ゆめまぼろし百番」第87番「かぐや姫」(97手詰)の変化にも疑問が。
79手目14歩に対して22玉と逃げた場合、解説には①25香と②13角の二つ手段が書かれれいる が、②はどうやっても100手を超えてしまう。
 したがって①で追うしかないが、解説では25香、23歩合、13歩成、同玉、15香、※14歩合、23香成、同玉、41角以下とある。確かに以下34玉、45と寄、25玉、43角成、15玉、26銀、24玉、34馬、13玉、23角成までの99手駒余りで辛うじてセーフ。
 だが、※で14桂合とされると26銀が打てなくなるので、41角、34玉の後35銀、25玉、43角成、15玉、16歩、同金、33馬、25玉、24馬が最短手順。これは99手で駒が余らない。
 もともとは玉方37歩があり、この変化は35銀のところで23銀以下2手長駒余りだったが、余詰修正で37歩を除いたのが原因と思う。
 間違いであってくれればいいのが。


「呪われた夜」 投稿者:白海棋人 投稿日:2013年 2月26日(火)22時18分18秒

「呪われた夜」(添川公司氏作)ですが作意344手め△3二玉が問題の一手
のように感じます。正しい手順は△3三玉で以下385手詰め(参考手順)
の完全作ではないでしょうか?
収束で左側の駒が全く捌けず、飾りとなってしまっている点が気になり、
作意手順が成立するのがベストです。
しかしこれほどの傑作がそのために早詰め扱いされていることは残念です。


(参考手順)作意手順343手▲1一飛成以下
▲1一飛成 △3三玉 ▲3一龍 △3二角 ▲3四香 △同 玉
▲3二龍 △3三飛 ▲1六角 △2五歩 ▲同 角 △2四玉
▲4七角 △2五歩 ▲同 香 △3四玉 ▲3三龍 △同 玉
▲3一飛 △2二玉 ▲1一飛成 △3二玉 ▲3三歩 △同 玉
▲3一龍 △3二香 ▲3四歩 △同 玉 ▲3二龍 △3三飛
▲同 龍 △同 玉 ▲3一飛 △2二玉 ▲1一飛成 △3二玉
▲3四香 △3三飛 ▲4一龍 △2二玉 ▲3三香成 △同 玉
▲3二飛
まで385手詰

また他にも作品自体は完全作でも作意で変化手順を誤ったために余詰め作と
された作品があると思われます。この点につき評価ガイドラインがほしい
ものです。


駒場和男「けものみち」及び「春雷」の変化について 投稿者:EOG 投稿日:2013年 2月26日(火)22時10分49秒

「ゆめまぼろし百番」第72番「けものみち」及び第77番「春雷」は変化が割り切れていないようなので記しておきます。柿木将棋であれこれ確認していますが、誤りがあればご教示ください。

「けものみち」39手詰
 20手目87歩は同飛右、76玉、86飛、(イ)75玉、85飛、64玉、68飛、(ロ)54玉、55飛以下の順が解説には書かれていますが、(イ)65玉が47手かかります。また(ロ)65歩合も47手かかります。
 なお、解説には29歩がない場合の余詰手順が説明されていて、86歩、84玉、54飛、74歩合、85金、83玉、74金、82玉、93飛成、※同玉、53飛成以下とありますが、※81玉で詰まないように思います。これが正しければ29歩は不要駒です。

「春雷」21手詰
 2手目同玉は61飛、同金、74と、同玉、75歩で65玉は76角、(イ)75玉、57角、74玉、44龍、(ロ)64歩合、83銀生以下とありますが、(ロ)64飛合で37手かかります。44龍では83銀生の方が早いですが25手かかります。また、(イ)65玉も27手かかります。
 なお、4手目86香に対しては同角、63玉、61飛、同金、※64香、同と、53玉、54歩、52玉、34角、41玉、42龍、同玉、63歩成、33玉、23角成、44玉、45金までと書かれていますが、この手順は23手駒余らずです。※74と、同玉、75歩、63玉、74角以下の23手駒余りが正しい変化でしょう。
 この作は発表時に解いた記憶がありますが、その図は頭2手カットで21金が31桂の図。今、柿木将棋に解かせてみると2手目86香とし25手駒余らずの手順を答えます。
当時指摘があったかどうかの記憶はありません。


re: 角一色の記録について 投稿者:TETSU 投稿日:2013年 2月16日(土)00時29分38秒

「原作の作者の了解なしには発表できません。」ということです。
今回の改作は、ほとんど付加価値がないので、(1)も(2)も
無理だと思いますし、(3)のつもりで原作の作者に連絡しても
発表しようということにはならないと思います。

>改作はいろいろとやっかいな話になりがちなので、自分自身のオリジナルで
>記録に挑戦していただくよう、お願いします >みなさん


角一色の記録について 投稿者:左馬 投稿日:2013年 2月15日(金)14時55分44秒

①管理人様の仰せの通り、「驚愕の荒野」の改作版で御座います。
(おそらく当然分かるだろうと思いましたが、どうも失礼致しました。)
②管理人様の御意見に従いますれば、(1)か(2)の何れでも構いません。

相談云々については、結局の所①及び②の確認だと思いますが、「驚愕の荒野」自体、50年100年後単位で評価されても不思議でないような作品なので、この程度のことであれば、どの道いつかはという気が致します。


2013年1月



re: 記録に挑戦!について 投稿者:TETSU 投稿日:2013年 1月31日(木)23時31分49秒

hiroさん、ご指摘ありがとうございます。
完全性が確認できたら、記録作として登録したいと思います。
展示室の解答、お待ちしています。


記録に挑戦!について 投稿者:hiro 投稿日:2013年 1月31日(木)22時51分0秒

お久し振りです。
近々、くるくる展示室にまた解答を寄せたいなと考えています。

さて、記録に挑戦!の4-81にある参考記録の作品についてなのですが、添川氏ご本人が詰将棋パラダイス2012年8月号の読者サロンに修正図を発表されています。
作意不変とのことで、これが完全であれば参考ではなくなると思うのですがいかがでしょうか。


サマセット・モーム 投稿者:松田圭市 投稿日:2013年 1月31日(木)19時52分16秒

 ひょっとしたら有名なのかもしれないが…。
 驚くべき文章を発見した。

 トランプの独り占い、詰将棋、クロスワード・パズルをのぞいて、読書のように、相手がなくても楽しめる遊びはほかに何もない。

 『読書案内』W.S.モーム著


re: (初心者で)恐縮ですが 投稿者:TETSU 投稿日:2013年 1月19日(土)01時05分59秒

この図は岡村さんの「驚愕の曠野」を改作したものと思います。
改作については、以前この掲示板で書いたので、再掲しておきます。
===============================================================
各作品には作者の創意があり、改作して自分の作品として発表することは
基本的にはできません(大きな価値を付加でき、はっきり別個の作品として
見られる場合は別)。
改作であることを隠して自作として発表すると、盗作の疑いをかけられる
おそれがあるので、気をつけてください。
記録作品には、少し改良することで記録を更新できることがありますが、
これについては、以下の考え方でお願いしています。
・改作の場合、どのように作品を発表するか、あるいは発表しないか、
 原作の作者と相談して決めてください。
・発表の仕方は、付加価値の度合いによって、
 1)合作として発表する
 2)xx作のyy改作として発表する
 3)改良案はアドバイスとして、そのまま原作の作者名で発表する
 など考えられますが、いずれにしても原作の作者の了解なしには
発表できません。
・原作の作者が故人など相談できない場合は、新作としての発表はできない
 ので、記録に挑戦!では参考作品として扱います。
改作はいろいろとやっかいな話になりがちなので、自分自身のオリジナルで
記録に挑戦していただくよう、お願いします >みなさん


将棋世界2月号 投稿者:EOG 投稿日:2013年 1月18日(金)23時00分50秒

③佐藤勝三作、3手目以降はパラ2012年4月号デパート近藤郷作の13手目からと同じ。但しこの収束は近代将棋1993年10月号岡田敏が先例。


(初心者で)恐縮ですが 投稿者:左馬 投稿日:2013年 1月18日(金)15時45分22秒
攻方、9五角
玉方、4一玉 5一馬
持駒、金4 銀2 歩9

(51角成 同玉 33角 42角 同角成 同玉 64角 53角 43歩以下61手詰)

角一色の最長記録で御座います。


re: 新事実発覚 投稿者:TETSU 投稿日:2013年 1月 6日(日)20時23分51秒

これはすばらしい。決定版という感じですね。
この図も年賀詰展示室に掲載させていただきます。


新事実発覚 投稿者:かめぞう 投稿日:2013年 1月 6日(日)16時56分19秒

幾度の投稿申し訳ありません。
この前僕が「2→巳→E→5の3手詰は玉方持駒なしにしないと論理的に不可能」と言いました。
しかし、玉方持駒ありでもできました。



2→巳→E→5 投稿者:TETSU 投稿日:2013年 1月 6日(日)00時06分22秒

お二人とも、さすがですね。
せっかくなので、記録に残す意味でこの2作を年賀詰展示室に掲載させて
いただきます。
平成25年(巳年)がイー年になりますように。
私が用意していた図は、楽大生さんの図を下にずらしたような下図でした。



3手立体曲詰について 投稿者:楽大生 投稿日:2013年 1月 5日(土)23時37分25秒

次のようにすれば「2→巳→E→5」が成立すると思います。
玉方=72と、73玉、82桂、92桂、94歩、96馬、持駒なし
攻方=74桂、76桂、84歩、86銀、95飛、持駒飛


修正図 投稿者:かめぞう 投稿日:2013年 1月 5日(土)23時25分15秒

すみません。54飛を見落としていました。

恐らくこれで修正できていると思います。



re: 年賀詰について 投稿者:TETSU 投稿日:2013年 1月 5日(土)11時10分5秒

詰将棋メモ(1月4日)で「2→巳→E→5 の3手詰はできるかな」と
書いてみたら、さっそくかめぞうさんが作ってくれました。
受方持駒なしを発想したのはさすがですが、残念ながらこの図では
54などから飛を打っても詰み。
曲詰なので非限定は避けたいところです。
さて、どうしたらいいでしょうか。

http://toybox.tea-nifty.com/memo/2013/01/post-58fa.html


年賀詰について 投稿者:かめぞう 投稿日:2013年 1月 5日(土)01時11分49秒

2→巳→E→5 の3手詰ですが受方持駒なしにしないと論理的に不可能だと思います。
そして手順は34飛、15玉、16飛(竜)に限られます。
※他にも27の駒は角限定。33・15の駒は桂か角。35の駒は銀か角。など多数ある。

次の図は上記のことを踏まえての例です。



佐伯九段の賀状詰 投稿者:suikyou 投稿日:2013年 1月 2日(水)12時23分4秒

「佐伯九段将棋サロン」に紹介されている佐伯九段の賀状詰将棋は, 近代将棋1980.7の二上九段作と同一. 賀状に他人作を載せる神経が判りません(偶然の一致ならごめんなさい). 同サイトの出題はすべて他人作. 詰将棋著書もある九段なので自作を出題してほしいものです.


(無題) 投稿者:suikyou 投稿日:2013年 1月 2日(水)10時25分49秒

7手詰の方は森信雄著「詰将棋ちょっと手強い7手詰_200題」の第192番です.


遠隔操作事件の犯人が出題した詰将棋 投稿者:EOG 投稿日:2013年 1月 2日(水)06時29分5秒

13手詰の方は将世2012年1月号妻木貴雄作。(もっとも3手目以降はパラ2004年8月号塩見倫生作と同一)7手詰の方もその近辺にあるのでは。